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【バングラデシュ】ロヒンギャ難⺠危機から7年 (前編) ―減少する国際社会からの⽀援とロヒンギャの⼈々の声「私の⼈⽣は美しく変わった」

2017年8月25日、ミャンマー国軍による武力弾圧で多くのイスラム少数民族ロヒンギャの人々が殺害され、そして多くの人々がミャンマーからバングラデシュに避難してきました。今年で避難生活は7年を数えます。
 
現在もバングラデシュ南東部のコックスバザールにある難民キャンプでは、98万人以上が生活を続けています。しかし7年経ってもロヒンギャ難民の現状は改善することなく、それどころかミャンマー国内における弾圧の激化により、現在でもロヒンギャの人々はミャンマーからバングラデシュの難民キャンプへと逃れ続けています。
 
これまでの7年を振り返り、ピースウィンズのこれまでの活動、そしてロヒンギャ難民(ミャンマー避難民)・ホストコミュニティ住民(キャンプが作られる前からコックスバザール地域に居住していたバングラデシュ人)の経験、未来への思いをご紹介します。
 
ピースウィンズは、大多数のロヒンギャの人々がコックスバザール県に逃れてきた2017年の10月に、現地の提携団体であるダッカ・コミュニティ・ホスピタル・トラスト(DCHT)(https://dchtrust.org/)と共に緊急期における医療ニーズに応えるために移動式診察を通じ緊急医療支援を開始しました。
 
こちらは当時の移動式診療の様⼦です。
 

難民のキャンプ内での移動診療の様子

 
この緊急期における移動式診療の実施をきっかけにピースウィンズとDCHTは簡易診療所を開設し、基礎的な診療サービス、正常出産を含む母子への周産期サービス、保健衛生啓発などを開始しました。これが現在ピースウィンズの活動拠点、キャンプ14にある「ジャパンクリニック」と呼ばれる診療所の始まりです。
 
支援の初期段階では、緊急医療ニーズへの対応として医療処置や薬剤処方などの「医療」支援が中心でしたが、次第に避難民が自律的に健康的な生活を送るための知識を伝える啓発活動を行うなどの「保健」活動へとシフトしてきました。
 
現在、コックスバザール県のロヒンギャ難民キャンプで支援を行っている国連機関やバングラデシュ政府、私たちピースウィンズを含む国際NGOは、合計で117あります。一方、2017年の支援状況と比較すると国際社会からの関心が薄れてきており支援が減っている現状があります。ミャンマー国内におけるロヒンギャの人々の状況が悪化し、さらに避難者が増加したり、すでに難民キャンプ内の人々の生活が長期化したりしている一方で、世界的な支援資金の不足が深刻で、2023年では必要な額の49%しか調達できませんでした。
 
バングラデシュ政府の方針によりロヒンギャ難民は就業が制限されているため支援に依存した生活から脱することが困難な状況ではありますが、国際社会からの支援が減少する中、少しでも自立した生活できるよう、ピースウィンズは支援を続けています。
 
現在は、難民とホストコミュニティの住民を「コミュニティボランティア」として育成し、彼らが主体となり、病気の予防方法や健康的な行動についての啓発活動を住民向けに行う活動をしています。また、コミュニティボランティアは居住地域で医療ニーズの高い人々を把握して、彼らが必要な時に適切なサービスを受けられるよう情報を提供したり、緊急時には近所からも手助けを得られるように調整したり、地域で脆弱な人々を守るための働きかけもしています。健康面で相談があったら身近にいるコミュニティボランティアを頼ることができるような仕組みづくりです。
 

ピースウィンズの活動で育成したコミュニティボランティアが妊婦に妊娠中の注意点などを伝える

 
そして、これらの活動を通じて、難民やホストコミュニティの住民が自らの健康を守る行動を実践できるようになることを目指しています。
 
* * *
 
7年目の8月25日を迎え、難民キャンプで暮らす人々に、これまでの7年、そして未来をどう見ているか、直接話を聞きました。
 
ピースウィンズの事業でコミュニティボランティアとして活動しているノアさん
 

左:ノアさん 右:質問をする当団体のフィールドスタッフ

 
ノアさんと家族がバングラデシュへ辿り着いたのは2017年9月2日。
 
当時の最大の心配は、どのようにミャンマーから逃れ、国境を超えるか。ボートで川を渡るにしてもそのお金を工面するのは簡単ではありませんでした。避難しても、自分たちで避難後の簡易的な居住スペースを建てるお金もなく、そこからまた別の地域に移動することもできず、避難民としての初期の生活はとにかく大変だったと言います。
 
「ホームレスの人々の気持ちがわかります。私がミャンマーを逃れた時、大勢の人々が巣のない鳥のように、まるで無意味な存在かのように、道一面にあふれていた光景を今でも覚えています。私たちは愛する故郷を失い、誰もが肉体的にも精神的にも本当に弱っていました。」
 
7年経った現在、生活状況は当時と比較すると改善したと言います。
 
「人道支援の団体でボランティアとして働くことで、私の日々は以前よりも美しく変わりました。数々の知識やスキルを身に着け、コミュニティの人々をサポートすることができています。将来もこれが役に立つといいと思っています。しかし、私の他に家族を支えられる人がいないし、母は重病で動くこともできません。それが心配です。」
 
さらに、この先の未来について聞くと、このように答えてくれました。
 
「今も状況は危機的ですが、私はこのボランティアの仕事を続けたいと思っています。いつか状況が良くなることを期待しており、これからも地域の人々のために働きたいと思っています。そして、キャンプレベルで女性の教育を改善したいと考えています。もしこの難民キャンプに将来も留まらなければならない場合は、人道支援の組織で働いて過ごしたいと考えています。地域の人々を助けたいです。」
 
ノアさんに「国際社会へ伝えたいことは何か?」と尋ねると、彼女はこう答えました。
 
「キャンプでの必要最低限な生活環境を改善するために、国際社会に引き続き支援をお願いしたいです。食料、水、医療といった生活のための最低限のニーズへのアクセスを改善する必要がまだあると感じています。また、教育や雇用の機会を増やすことも非常に役立つでしょう。私たちの生活の安定や社会活動の権利を確保できるように取り組んでいただきたいです。」
 
ピースウィンズの事業でコミュニティボランティアとして活動しているアブダルさん
 

左:アブダルさん 右:質問をする当団体のフィールドスタッフ

 
「キャンプで明るい未来を想像することは難しいですが、様々なスキルを学び、多くの経験を積むことができればと思います。キャンプで過ごす中で、失ってしまったミャンマーでの⽣活や故郷が恋しくなることもあり、いつかミャンマーに戻り、家族や友⼈、親戚と共に幸せに暮らせる⽇を願っています。教育を受けている⼈もいますが、仕事の機会が限られ、才能を⼗分に活かせていないのが現状です。キャンプで活動している多くの組織が、私たちロヒンギャと共に働く機会を提供してくれることを期待しています。」
 
7年前のロヒンギャ難⺠危機当初と⽐べると、難⺠キャンプでの⽣活は改善しているかもしれません。しかし、故郷へ帰りたいという願い、必要最低限の⽀援がいまだ⼗分に⾏き渡らないキャンプでの⽣活、そして将来に希望を抱けない若者たちの強い不安は、依然として変わっていません。また、教育や働く意欲がある⼀⽅で、そのような⽀援は未だ限定的です。学びたい、働きたいという彼らの意思を実現できる機会を、⽀援団体や国際社会が提供していくことが必要です。
 
引き続き、皆さまからの温かいご⽀援を、どうぞよろしくお願いいたします。
 
後編では、さらに他のロヒンギャ難⺠やホストコミュニティ(キャンプ周辺に住むバングラデシュ⼈)へのインタビュー、彼らにとってのこれまでの7年間、未来への思いをご紹介します。
 
※ピースウィンズ・ジャパンの活動は、ジャパン・プラットフォームからの助成⾦や個⼈・法⼈の皆さまによるご寄付⾦により、実施しています。

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