【インドネシア豪雨 緊急支援】人の絆と将来の希望をつなぐ支援を

スマトラ島での大規模な洪水被害の発生から、約半月が過ぎました。被害の大きい地域では今も復旧のめどがたっておらず、支援を届けるのが難しい被災地も残っています。また、新たなサイクロンによる豪雨の再来も警戒されています。
今回の報告では、大きな被害を受けた北スマトラ州・タンジュンプラでの物資支援の様子や現場の声をお伝えします。
地域の助け合いが支える被災地の今

タンジュンプラは北スマトラ州都メダンから、車で2時間ほどの場所にある町です。第2回のレポートでもお伝えしたとおり、洪水発生から10日以上が経っても水が引かず、家屋や学校が水没するなど大きな被害が出ていました。
12月10日、私たちは衛生用品などの支援物資を手に、再びこの地を訪れました。今もまだたくさんの家屋、建物が水に浸かったままの状態です。
私たちが物資を届けた拠点では、自身も被災しながらも地域の人びとをサポートしているという男性、アルさん(仮名)にお話を聞くことができました。

ここでは災害支援の拠点を示す「ポスコ(Posko)」の文字が手書きで掲げられ、物資の配布などが行われています。ポスコは行政が運営するものもありますが、ここではアルさんを中心とした地域の人びと自身が、協力して立ち上げ、運営にあたっているとのこと。周辺地域に居住する400世帯、1500名あまりの被災者をこのポスコが支えています。
洪水が自宅を襲ったとき、アルさんの奥様は体調を崩されていました。自身のご家族のサポートをしたいという気持ちはもちろんありましたが、それでも地域のまとめ役として、家族の無事を確認するとすぐ、みんなで助け合うための人や物資の調整を始めたといいます。

この地域は政府の支援が乏しく、現在は民間団体の支援に生活を頼っているとのこと。復興の展望も見据えているというアルさんですが、家だけでなく農地や家畜などの生計手段も失った人びとにとって、生活再建はゼロからのスタート。浸水が残る状況で電気などのインフラも破壊され、日々を暮らしていくのに精一杯な現状では、再出発には数ヶ月はかかるとみています。
すべてを奪う洪水の被害から立ち上がるための力

スマトラ島北西部のアチェ州などには、今も物理的に支援が届きにくい被災地が残されています。大都市のメダンから車で日帰りでも向かうことのできるタンジュンプラは相対的に物資が入りやすいため、まだ救いがある状況との見方もあります。
しかし、実際に家や財産をすべて失った被災者の方の苦悩の前では、そんな比較にはまるで意味がありません。「洪水の後、私たちには何も残されていませんでした」――これほど大きな洪水は初めてだと話してくれた女性の言葉は、将来への切実な不安を訴えていました。
未来への希望をつなぐのは、やはり人と人とのつながりです。アルさんたちが紡ぐ地域の絆はもちろん、私たちのような支援団体の存在が、あなたたちを見捨てないという被災地へのメッセージになり、不安を和らげることを祈っています。今回、厳しい状況のなかでも私たちを笑顔で迎えてくれた現地の皆さんに、こちらも救われる気持ちになりました。

タンジュンプラでは、自宅が住める状況にないため、洪水で汚れた毛布などを屋根代わりに外で暮らしている人の姿が多くありました。ひとたびスコールなどが襲えば、雨を避ける術はないという生活です。他の被災地でも同様の状況がみられると言います。
私たちはこうした人びとを少しでも支えるため、簡易的な屋根などに活用できるターポリン(大きく丈夫なビニール素材)を追加の支援物資として新たに調達。提携団体と協力して、支援に乗り出しています。

現地団体と連携しながら、私たち自身の目で被災地の状況やニーズを把握し、できる支援を着実に実行していきます。皆さまの温かいご支援をどうぞよろしくお願いいたします。
※この支援は、皆様からのご寄付やジャパンプラットフォームからの助成で実施しています。
クラウドファンディングからご支援が可能です
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