【ウガンダ】ジョイス・アバウさんのストーリー
ジョイスさんは53歳、夫を亡くしたシングルマザーです。今から3年ほど前に6人の子どもたちとウガンダ北部・インヴェピ難民居住地区に難民として来ました。「私の故郷は、南スーダン、イェイ州のルパパ村という所です。農業や個人事業で子どもたちを養っていました。」
「私たちの暮らしは、内戦が激化した2016年7月16日を境に一変しました。銃声や無差別な虐殺に毎日おびえるようになりました。特に、下の息子2人が反乱軍に連れて行かれるのではないかと毎日気が気ではありませんでした。当時、反乱軍は子どもを無理矢理連れて行って子ども兵にしていたからです。逆らうと家ごと燃やされ殺されてしまうんです。」
子どもたちを守るため、ジョイスは近所の人たちと一緒に隣国のコンゴ民主共和国(以下、DRC)に逃れることを決意します。道路は政府軍によって閉鎖されているので使うことができません。藪の中をひたすら進む過酷な3日間でしたが何とかDRCのマリディ県という所に着きました。ジョイスと近所の人たちはそこで2ヶ月暮らし、その後ウガンダに移ることにしました。
DRCからウガンダへの移動も、4日間歩き続ける大変厳しいものでした。2017年3月22日に国境に到着し、その後、ウガンダ北部のインヴェピ難民居住地区へと移ることになりました。そしてジョイスは今も、6人の子どもたちとインヴェピ難民居住地区で暮らしています。でも、2人の子どもは苦労がたたって心の病気を患ってしまいました。
私たちピースウィンズ・ジャパン(以下、PWJ)は、ウガンダ北部の難民居住地区で、難民の中でも特に弱い立場の人々、例えば女性と子どもだけの世帯、お年寄り、障害をもつ人々などのために家やトイレを建てています。ジョイスは、2018年にPWJがインヴェピ難民居住地区で建てた421戸の家のうちの1戸に住むことになりました。「それまでは支柱にビニールシートを巻いただけのテントに住んでいたんです。だから、2018年にPWJが建てた家・トイレを利用できるようになった時は、本当にうれしかったです!だって、屋根・壁、そして窓もドアもある普通の家は快適だし、それに家の横にトイレがあるから、もう外でしなくていいし。」
安心できる住環境を手に入れたジョイス。でも、悩みは尽きないようです。支援物資として配布される食料・医薬品や、教育ですらも全て無償で提供されることに慣れきってしまって、子どもたちが自分自身で努力をしようとしない—。と打ち明けてくれました。もちろん、故郷の南スーダンに戻れるかどうかも今は分かりません。
ジョイスの言葉を聞いて、私たちの事業が助けを必要とする人たちに意義をもたらしていることに改めて自信と誇りを感じました。と同時に、援助慣れという問題の存在も重くのしかかります。人間としての尊厳を大切にしながら私たちにできることは何か、引き続き考えていきたいです。
※本事業は、ジャパン・プラットフォームからの助成金や、みなさまのご寄付により実施しています。