【トルコ・シリア地震】物資が届かない「忘れられた」避難所へ支援を
■必死の捜索 「72時間」を過ぎても
現地時間2月9日、空飛ぶ捜索医療団”ARROWS”の緊急支援チームは、イスケンデルンの建物倒壊現場で、捜索チーム・サポート医療チームとして活動しました。
建物が倒壊した現場での捜索活動に参加
この日は残念ながら要救助者を発見することはできませんでしたが、ご家族が見守る中、深夜から午前5時頃まで、現地提携団体であるGEA・スペインチームとともに、行方不明者の捜索を行いました。
■フィールドホスピタル(野外病院)で医療支援のニーズを調査
また、イスケンデルンの保健担当者の紹介をうけ、地震で被害を受けた公立病院の側に設置されたフィールドホスピタル(野外病院)を訪問しました。
病院の状況を聞き取り、責任者の医師からは「毎日100人の患者を診ている。患者の多くは外傷。トリアージと応急処置を行い、必要な時はアダナなどへ搬送している」といった説明を受けました。このような医療ニーズにこたえるため、11日にはチームに新たに医師1名が合流し、体制をさらに整えて支援にあたる予定です。
フィールドホスピタル(野外病院)で説明を聞く坂田医師と西倉医師
■「忘れられた」避難所 物資支援ニーズを調査
9日には、比較的小さな都市アルズスに物資支援チームが向かいました。
周辺都市同様に大きな被害が出ている箇所があり、大勢の避難者がいますが、支援が集中しやすい中心地と比べるとアルスズは明らかに忘れられている地域のひとつでした。
“パンケーキクラッシュ“と呼ばれる上階が折り重なるように倒壊したとあるホテルの前では今でも懸命な捜索活動が行われており、傍には「弟がこの中にいるんだ」と憔悴し切った様子の方々が座っていました。
力なく座り込む行方不明者のご家族
■あふれる物資 しかし本当に必要な物は足りない
そんな中で今回訪れた避難所(体育館)は、まだ開設した直後のため管理者もおらず、トルコ人の個人(団体や政府支援ではなく別の都市の個人)が持ち寄ったという中古の服や靴、おむつといった支援物資が乱雑に床に置かれており、現場はかなり騒然としています。
山のように積まれている衣類
地元のリーダーシップのある方々がボランティアのように警備や指示を出している状態ですが、気を抜けば騒動に発展しそうな喧騒。物資も管理されている印象はほとんどなく、量は集まっていても必要な食料や衛生用品は欠如しており、明らかに偏った支援物資しかない状態でした 。
「昼間は物資を受け取れるようにして、夜には人々が寝れるようなスペースを作る」と話してはいるものの、硬い床に換気の悪そうな室内、暖房器具などもない施設で人々が安全に避難できる環境が整っている状態とは決して言えません。
避難者の方々からお話を聞くスタッフ
■ひとつの家に30人が身を寄せ合う避難生活
またアルスズの郊外まで足を運べば、多くの家庭で家を失ったりあるいは建物にダメージがあったりで、怖くて眠れない人々が、比較的被害の少ない家に身を寄せ合って避難していました。避難所まで行く交通手段のない人々は自宅に取り残されている状態で、支援物資へのアクセスも明らかに限られていました。
我々が訪れた2家庭では、それぞれ30人以上の人々がひとつの家に避難している状態。「我が家は15人が寝ている部屋が2つある。これでもまだマシ。知り合いの家では2部屋しかないのに60人寝泊まりしているらしい」と地元住民は言います。
これだけの人々が共同生活をしているため、トイレの使用が難しく、水も足りず、マーケットが閉まっているため食料も思うように手に入らないのだそうです。
水や食料、ブランケットなどを運び込むスタッフ
■「私たちの足元を見て」 命からがら避難した人々
今回はニーズ調査を目的とする訪問でしたが、基本的な支援物資(水、食料、ブランケット、お菓子、衛生用品など)は手元にあったためお渡しすると、抱き合って涙を流し喜ぶ人々も。子どもたちは大喜びでお菓子を取りに集まり「テンキュー」と可愛くお礼を言いに来てくれました。
「私たちの足元を見て。スリッパなのよ」と泣きながら言うお母さんは、地震で崩れる前に何も持ち出せなかった発災当時のことを話してくれました。
「この家では部屋に人が入りきらなくて、外でも人が寝ている」と言うので、どこで寝てるのか?と聞くと「椅子があるでしょ?」と何の変哲もないプラスチックの椅子を指差しました。
「家の中も外も寒いの。ブランケットは本当にありがたいわ」と皆さんが感謝を伝えてくださり、大きく手を振ってお見送りしてくれました。
ピースウィンズは、今後も現場の状況に合わせた支援を迅速に実施してまいります。
皆さま、どうぞあたたかいご支援をよろしくお願いいたします。