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インタビュー

パレスチナ・ガザ地区への大規模攻撃から1年。ガザに生きる母からのメッセージ

広報:ピースウィンズ国際人道支援 ジャーナル編集部

昨年10月7日にイスラエル軍がガザ地区への大規模攻撃を開始して、間もなく一年が経とうとしています。

我々はこの一年間、「ガザ地区の人道状況は、日々最悪を更新している」とお伝えしてきました。残念ながら、今もその状況は変わりません。 ガザ地区では依然として人口の約6割に当たる約124万人が飢餓に直面し、地区内の36カ所の病院のうち部分的に稼働しているのは17カ所、水の供給量は戦争前の4分の1に留まるなど、極めて危機的です。イスラエル軍による無差別攻撃は依然として続いており、死者は把握されているだけで41,272人に上りました。

ピースウィンズの現地スタッフは、いつ自分が攻撃に遭うか分からない恐怖と、食料、水等の確保もままならないなか、我々の支援活動を現場で支えてくれています。

この度、今もガザ市に留まるサミーラが、日本の皆様にメッセージを届けてくれました。4人の子どもの母として、戦争で家族を失った一人の人間として、気力を振り絞って訴えてくれました。どうか、彼女の言葉を受け止めてください。

給水支援を視察するサミーラ(左)

紛争の現実─いまだ日々最悪を更新する。

ガザの状況はここ一年まったく変わらず、むしろ日々悪化しているのが現実です。希望を失い、絶望に支配され、何もかもが奪われました。

私が経験してきた数々の衝撃的な出来事についてお話するのはとても辛いことです。私の心と家族の生活に深い傷を残し、心理的にも大きな影響を受けました。特に忘れられない出来事のひとつが、イスラエル軍が私たちの住んでいた建物を攻撃した時のことです。

惨劇の記憶

私たちの隣に住んでいたのは一般市民で、何の脅威もない人々です。それにもかかわらず5月22日、午後8時30分頃、イスラエルの戦闘機がこの家を攻撃。隣人の一人が命を落とし、子どもも含めた10人が負傷しました。

その瞬間がどれほど恐ろしいものだったか……。爆撃の轟音が響き渡り、私はただ子どもたちを連れて家から逃げ出そうと必死で、隣人の叫び声や助けを求める声も聞こえないほど、すべてが混乱していました。子どもたちは全身が血に染まり、煙に包まれ、泣き叫んでいました。

私と夫と、そして息子も隣人を助けようと必死に瓦礫を取り除きながら救急車を呼びましたが、夜間の危険な状況のため救急車は現場に到着できず、夫が自家用車で重傷を負った子どもたちを病院に運びました。

この日のことは、今でも忘れることができません。今もなお私の心に深く刻まれており、悪夢となって繰り返し蘇ります。爆撃の音が聞こえるたびに再び攻撃されるのではないかと外を歩くことが怖くなり、空を見上げるたびに、子どもたちが命を奪われるのではないかという恐怖が頭を離れません。

兄、叔父、母を失う

もう一つ忘れられない悲劇があります。それは、私の兄と叔父が命を落としたというニュースを聞いた時です。今年の2月、イスラエル軍がタリルハマ地域を侵攻した際、兄と叔父は従兄弟を助けようとして殺されました。一瞬にして、兄も叔父も従兄弟も命を奪われたのです。

そのことを知ったとき、私は言葉では言い表せない、深い悲しみに覆われました。

兄は近くに寄った際にはいつも家に立ち寄ってくれて、野菜や花を持ってきてくれる、やさしい人でした。しかし、もう二度とその笑顔を見ることはできません。そして、この悲しみが母をも襲いました。息子を失ったショックから立ち直ることができず、母もまた病に倒れ、十分な医療を受けられなかったため、2ヵ月後に亡くなりました。

ガザでは病院が次々と破壊され、わずかに残った病院が負傷者や病人を受け入れていますが、通常の患者を治療するにはすべてのものが不足しています。
日々の生活は常に脅かされ、私たちは尊厳を奪われ、人間らしい生活を送ることができません。イスラエル軍の非人道的な攻撃によって、私たちは街も心も、すべて破壊されました。

母との約束

戦争中に私を支えてくれた一番の存在は母でした。母は、私が心を休められる唯一の人であり、毎朝早くに彼女の声を聞き、恐怖や不安を話すことで、心が少し楽になっていました。

母はいつも私を励まし続け、何度も「子どもたちの前で良い母であるために、強くならなければならない」と言ってくれました。子どもたちを守るためには、どんなに辛くても、この厳しい世界で生き抜く力を持たなければならない、と。

周りには友だちや夫がいて、特にエルサレム事務所の同僚をはじめ、仲間が私を支えてくれています。夫もまた、私を励まし、絶望や抑うつから抜け出す手助けをしてくれています。でも、母が亡くなってからは、彼女のように私に力を与えてくれる人はいません。

私は母として、子どもたちを守らなければなりません。でも時々どうしようもなく悲しくなり、部屋に閉じこもって、母や兄、叔父のことを思い出しては、一人で涙を流しています。時には、つらくてこのまま死んでしまいたいと思うことも。

それでもやはり、子どもたちの顔を見るたびに、「私はまだ生きなければならない」と思います。母との約束を守り、子どもたちのために生きる、それが今の私を支えている、唯一の希望です。

生き続けて子どもたちを守り、ガザの未来をつくる

しかし、ガザにいるすべての子どもたちは、深刻なうつ状態に苦しみ、夜になると悪夢に苛まれています。11歳の娘、ラナは夜中に突然歩き出して泣きながら「誰かが私を殺そうとしている」と叫び、「イスラエル軍がママやパパを捕まえようとしている」という幻覚に襲われ、恐怖に震えます。

父親である夫は心理学者として一緒に遊んだり、彼女の気持ちを話させることで問題を解決しようと努力していますが、状況が何も変わらないため、彼女の心の傷は深くなるばかりです。同じように、彼女の兄弟であるモハメッドやラハフも悪夢に苦しんでいます。

毎日、激しい爆撃が続き、軍用車両の音が私たちの家のわずか500m先で響き渡ります。家にいても安心できず、安全な場所へ移動しようとしても、ガザには安全な場所などどこにもありません。電気や水が不足しているため、どこへ行っても困難が待っています。

私の子どもたちは、世界中のほかの子どもたちのように遊んだり、自由な時間を楽しむことができません。彼らは常に生命の危機に晒され、爆撃や攻撃が自分たちに降りかかるのではないかという恐怖に怯えています。私たちの周りでは多くの人が命を落とし、娘や息子の友だちも殺されました。その光景を目撃した現実が、彼らの心を一層蝕んでいます。

本来ならば9月から新学期が始まるはずでしたが、多くの子どもたちは学校に戻ることができません。なぜなら学校も攻撃を受けて破壊され、多くの人々が命を奪われてしまったからです。

子どもたちは、希望を持つことも、将来のことを話すことさえできないのです。

私は母親として、この困難な状況のなかでも、子どもたちのために生き続けなければなりません。ガザを再建し、子どもたちに未来を与えたいという希望は、私にとって唯一の光です。だからどれだけ厳しい現実に直面しても、私は生き続けて子どもたちを守り、ガザの未来をつくりたい、つくれることを願っています。

2024年9月 パレスチナ・ガザ サミーラ

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WRITER
広報:ピースウィンズ国際人道支援 ジャーナル編集部
国際支援や世界情勢に関わる情報をお伝えしています。本当に困っている人たちに、本当に必要な支援を届けるために、私たちにできることを一緒に考えるきっかけになればと思います。
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