キャンプは大幅縮小、帰郷後も消えない生活の不安
ピースウィンズ・ジャパン(PWJ)が支援を続けてきたスリランカ東部トリンコマレ県のプルモダイ国内避難民キャンプで生活していたほとんどの避難民が12月11日夜、スリランカ政府が用意したバスに乗って北部ワウニアへ移動しました。キャンプ閉鎖の可能性については援助関係者の間で話されていたものの、この日の移動についての情報は事前には届いていなかったため、PWJスタッフの間にも驚きが走りました。北部ワウニアに移動した避難民は、そこから元の村々へ帰還するとみられます。トリンコマレのキャンプには、約30家族が残っているため、PWJとしても必要な支援を継続します。
キャンプで必要な支援を実施する一方、PWJは、トリンコマレ県北部のクッチャベリ郡で、村に帰ってきた帰還民(元避難民)への生活支援を実施するための調査を行いました。前回のレポートでは、家族離散と住む場所に関する厳しい状況を報告しましたが、戦争の傷跡や今後の生活への不安も小さくありません。現地に駐在するPWJ西野ゆかりからの報告です。
調査では、家族構成、年齢、職業から始まって、これまで受けた支援、住んでいる家の状態や同居先の家族の数、飲み水やトイレの状況、子どもの栄養状態や健康状態、学校へ通っているかどうか、収入や仕事などについても聞いています。そのなかで、約20年にわたる内戦の傷を見せつけられる場面もあります。
こちらの質問に対して仔細もらさず答えようと、自分では読めない黄ばんだ書類を大事そうに次から次へと袋から取り出す年配の女性がいました。中身を見せてもらうと、食糧配給カード、臨時IDカード、一時面会証、キャンプから出ることを許可されたことを示す書類など、彼女がこれまでたどってきた19年間が詰まっていました。キャンプからキャンプへ転々と移動させられた家族も多く、そうした場合は、身元を証明する書類がないと食事の配給さえ受けられなかったのです。
内戦によるケガや障害を抱えた人もいます。戦争で左足を失った男性は「今度、義足の手術を受けるんだ」と快活に話していましたが、脚に弾丸が残っているという別の男性は「もう激しい労働はできない。これからどうやって家族を養っていったらいいのか」と悩んでいました。まだ働き盛りの年代でした。
内戦は、生活も崩壊させました。以前は数十頭の牛とヤギを飼っていたという男性は、そのすべてを失いました。「キャンプからは解放されて帰ってきたものの、着のみ着のままで、トタン屋根と地面がむき出しの家に住んでいる」と、この男性。彼の現在の希望は、家族です。
「昨日、息子の嫁に双子の男の子が生まれたんだ。初孫だよ」
多くの家族は、キャンプからとりあえず故郷に戻れただけで、収入の道はない、という状態です。タミル人社会は親戚同士で助け合うネットワークが強いといわれていて、小さな家に数家族が身を寄せ合って暮らしていますが、それも可能なのは2~3カ月間ではないかと考えられています。
今後の支援の内容や活動地域は、調査終了後、支援調整会議が開かれて決まりますが、その間にも、キャンプから解放された元避難民は続々と帰ってくることが予想されます。当初は、反政府組織との関係がないことを政府軍から認められた家族が帰還してきていましたが、現在はトリンコマレ県出身者ほぼ全員の帰還が進んでいます。PWJとしては、政府や団体間の調整も進めながら、的確で迅速な支援を実施していきたいと考えています。