トルコ大地震から1年10ヶ月(3) ピースウィンズが行ってきた支援と残る課題
トルコ南東部ハタイ県の県庁所在地アンタキアは、ローマ帝国最大の都市のひとつでもあり、初期のキリスト教の中心地として数多くの史跡が残る大きな街でした。しかし、2023年2月に起きたマグニチュード7.8の大地震は歴史的建造物を破壊し、ビルが立ち並んでいたアンタキアの中心街を瓦礫の山にしました。地震から2年近くが経つ今も深い傷跡が残っています。
・共同墓地の風景
それは衝撃的な光景でした。数百メートル続く墓標の列に刻まれた没年月日がどれも同じ2023年2月6日。大地震が起きた日なのです。墓標に書かれた名前から見る限り、トルコ人もシリア人も区別なく、同じ共同墓地に並べられています。
おもちゃが供えられた生後半年の双子の墓もありました。洋服やスカーフが飾られた少女の墓もありました。
いまだに身元が判明せず、識別のための番号札だけが置かれた墓も数多くあります。こうした共同墓地はアンタキア市内だけでも数箇所あるそうです。同じ没年月日が刻まれた墓標が見渡す限り立ち並ぶ巨大共同墓地の存在は、死者5万人という大地震の被害の大きさを改めて実感させるものでした。
・歴史的地区であるがために復興が進まない
アンタキアには世界最古のキリスト教会とされる洞窟教会があります。イエスの12人の使徒のひとりであり初代ローマ法王となるペテロがここで最初の集会を開き、集まった人びとに「クリスチャン」という呼称を与えられたといいます。それだけに街には史跡が多く、その大半が地震で崩落しました。
こうした建物の修復には、ブロックのひとつひとつ、石のひとつひとつを元の位置に戻すため、考古学者による監修が必要となり、そのために片付けも復旧作業も進まない難しさがあります。かつてビルが立ち並んでいたというアンタキアの中心街は2024年秋もこのように崩落寸前の建物が放置され、危険な状態のままでした。
・アンタキアを案内してくれたピースウィンズ現地スタッフ
「アンタキアを見てほしい。日本の人に伝えてほしい」と、この地を案内してくれたのは、地震発生翌日からずっとピースウィンズの現地事務所で仕事してきたメルベ・チャクマクです。
トルコ中部のアフィヨンで幼稚園を経営していたメルベは、大地震発生当日、「日本語の通訳を急募」という日本大使館の呼びかけに応じ、最小限の荷物だけ持って、道端で寝ることになる覚悟でボランティアとして被災地域に駆けつけました。翌日夜、現地入りしていたピースウィンズの日本人スタッフと合流し、以来、通訳および事務所スタッフとして働いてくれています。
日本の大学院に進学しようと思って独学で日本語を勉強していた彼女は、縁あって、埼玉県の幼稚園で働いたことがあり、日常会話には苦労しない日本語力がありました。結局、幼稚園の経営を他の人に任せて、今はピースウィンズの仕事に専念しています。
「NGOの仕事というのは、トルコでは新しい概念でした。人を助けることが仕事になるなんて知りませんでした。これをやらないで、あのまま故郷でニュースを見ていたら、被災者のために何もできなくて、きっと心が重くなっていたと思います。今は仕事として人の力になることができて、やりがいを感じます。仕事をする中で自分の知見も広がったので、相談事を持ちかけられた時に『あの役所に行けばいい』とか『この人に相談してみて』とアドバイスすることもできます。苦労している人の話をじっくり聞く忍耐強さも身につけました。助ける知識を身につけて働いている自分がすごく好きです」と言います。
こうも語ってくれました。「日本はとても遠いし、時差もある。それでも、そんな遠くからトルコの人のことを考えてくれる人がいる。そのことへの感謝の気持ちが、最初にボランティアに来た理由です。今もその感謝の気持ちは変わりません」。
私たちのトルコ支援活動は、こうした人々に支えられています。
このプロジェクトは、みなさまからのご支援とジャパン・プラットフォームからの助成金によって実施しています。トルコの地震被災者はまだまだ支援を必要としています。ひきつづき、あたたかいご支援をよろしくお願いします。
(おわり)