地震被災から半年を経て
ピースウィンズ・ジャパン(PWJ)は、1月12日のハイチ震災後、初動調査を経て今日まで約6ヶ月間、継続して支援事業を実施してきました。第一段階の支援内容である生活物品(テント、瓦礫除去工具、プラスティックシート)の配布や学校再開支援(3校を選定して臨時簡易教室の設置と、学校再開に必要な家具や文具の提供)は終了し、現在は第二段階の支援開始に向けて動き出しています。
そんな中、東京事務所でハイチ事業を担当する私、栗村が、事業の進捗状況の確認と、現地の生活・職務環境実体験を目的として、6月26日から7月7日の日程でハイチへ行ってまいりました。
写真左:瓦礫除去工具を活用する受益者
写真右:事業で設置した仮設教室
(c)PWJ/Norimi Kurimura
ハイチへ降り立ったときにまず目に飛び込んできたのは、眩いばかりの日差し。のんびりと荷物受け取り場所で自分の預け入れ荷物が出てくるのを待った後に空港の外へ出ると、あでやかな花が青々とした木々の合間から覗く、南国の景色が歓迎してくれました。
空港は、町の中心地から少し離れたところにあります。道中に目にするのは、テントの集落と、いたるところに残る崩壊した建物跡と瓦礫の山。阪神大震災を知る私が想像していた震災後6ヶ月の風景とは大きな違いがありました。
けれど、現地事業代表の北原聡子は、初動調査からの6ヶ月間継続してハイチ復興支援にかかわってきた中で、現地の復興は大掛かりではないにせよ進んでいると感じているようです。
私のように初めてハイチを訪れる人や、たまにハイチを訪れる人にとってはわかりにくいかもしれないハイチの復興状況ですが、肯定的な変化はいたるところにある様に感じます。
例えば、人々の顔には笑顔があり、綺麗に着飾った女性たちが町を彩っています。また、PWJ現行事業にて学校再開を支援した3校のいずれも授業を再開していて、そのうちの一校であるMichel de Montaigne のPhilemon校長は、今回の支援のおかげで生徒と教員全員が学校に戻ってこられた、と笑顔です。もっとも、教員の給与は、生徒の保護者が学費を払えないため、4月から支払いが滞っているようです。
PWJの職員は、物品を配布した地域を訪問するたび、配布に際し協力し合った地域の自治会メンバーから歓迎を受けます。瓦礫除去工具を配布したイダを6月30日に訪問した時、北原は、自治会から「唯一支援の手を差し伸べてくれたPWJに感謝する」と、木製の感謝プレートが贈られました。
写真左:Michel de Montaigne のPhilemon校長
写真右:イダ自治会メンバーから感謝プレートを送られる現地代表北原聡子
(c)PWJ/Norimi Kurimura
PWJ職員が受益者の感謝の意に答えるとき、「地震大国日本」のこと、「日本人の抱く、震災を経験したハイチへの特別な想い」について伝えます。
私たちPWJは、他のプロジェクト同様ハイチにおいても、他の支援が入らない地域に重点を置いて支援を実施してきました。その結果、受益者から感謝のカードなどをもらうことも多くあります。こういった支援を実施してゆけるのは、まさに、「日本の善意ある皆様のおかげ」です。
その善意によってなしえた活動が受益者に確実に届き、感謝されている実情を6ヶ月経った今、報告できること、その機会を与えてくださった日本の全ての支援者に深く感謝し、今後も可能な限り、ハイチでの活動を継続してまいります。