悲しみを乗り越えて村のために
ピースウィンズ・ジャパン(PWJ)がサイクロン被災後の支援を行っている、ボガレ地区のイェーチョーカ村。村長のタン・ズィンさんは、被災の悲しみを越えて、村の復興に尽力しています。船着場の修復では、支柱を立てる作業の中心になり、柱にしがみついて、村の男たちとともに力を合わせて川底に大きな柱を突き立てていました。今月から始まった学校建設の現場でも、用地の整備や、建設資材を船から現場まで運ぶ作業の先頭に立って、疲れた様子も見せず動き回っています。
完成した船着場で子どもたちと並ぶタン・ズィン村長(左)
(C)PWJ/Masaharu SAITO
村に行って精力的に仕事をしている彼に会うのがとても楽しみですが、彼の顔を見るたびに思うのは、7カ月前に村を襲ったサイクロンが、彼の大切な家族を奪ってしまったという事実です。600人余りが暮らしていた村では、サイクロン「ナルギス」によって、274人もの尊い命が失われました。村長の両親、妻、そして幼い娘までもが、サイクロンの犠牲になりました。どうにか助かった村人は357人でした。
写真左:支柱を立てるためロープをかける
写真右:船着場ができる前は船を降りるのもひと苦労
(C)PWJ/Ni Htwe
サイクロンから7カ月が過ぎ、イェーチョーカ村を私たちが訪れた時のこと。村人たちは太鼓や、笛、青竹を割って作った打楽器、そして手拍子に合わせた子ども二人の踊りで出迎えてくれました。太鼓をよく見ると、革の代わりに張ってあるのは、グレーのビニールシートの一片。村人たちがこうして楽器を奏でながら踊りを披露するのは、サイクロンに襲われてから初めてのことでした。
ビニールシートの太鼓(左後方)に合わせて踊る子どもたち
(C)PWJ/Hiroko TAKAHASHI
「村で学校を建てるなら、この土地を使うように」と、村長の両親が彼に語っていた言葉が、予期せぬサイクロンのために「遺言」となり、彼が引き継いだその土地に、来月にはPWJが小学校を完成させます。彼のように、愛する家族を失った者や、両親を亡くした子どもたちが、残された村の人びとに支えられながら、未来へ向けて新たな一歩を踏み出せますように。
村と協力して始まった学校建設
(C)PWJ/Hiroko TAKAHASHI