緊迫するガザでピースウィンズ・スタッフは何を考え、どう行動したか?
〜エルサレム事務所の矢加部真怜(まさと)に話を聞きました〜
パレスチナのガザ地区からの大規模攻撃に対してイスラエルが激しい報復攻撃を加え、わずか数日で双方に2,200人以上の犠牲者が出る緊迫した状況の中、ピースウィンズのパレスチナ支援事業は一時停止を余儀なくされています。ただ、そうした中でもガザにいるスタッフは、自らの安全を確保しつつ、家族や知人、支援事業に参加している若者たちの心配をして、今できることを懸命に模索しています。その様子をエルサレム事務所の矢加部に聞きました。
──10月7日早朝(日本時間午後1時前)、ガザ地区から大量のロケット弾が発射されました。その時どうしましたか?
矢加部 エルサレムでも早朝にサイレンが鳴り響いて、そう遠くないところにロケット弾が落ちて爆発する音が聞こえました。これに対してイスラエル側が何倍もの武力で報復攻撃を始めたので、これは経験したことのない大変な事態になると思いました。まずは、人道支援事業を行っているガザにいるスタッフや関係者の安全確認のため、あちこちに電話やメールを入れました。幸いみんな無事でした。以来、ずっとパソコンと電話にかじりついて連絡を取り合っています。主にパレスチナ人が暮らす東エルサレムにある私の事務所から車で10分くらいのところにあるパレスチナ難民キャンプでも、パレスチナ人とイスラエル兵の衝突が起き、緊迫した状況は続いています。
──ガザのスタッフはどんな様子ですか?
矢加部 スタッフのハデルは憔悴しきっています。お父さんがガザでは治療が困難な心臓の病気を抱えていて、つい先月、とても煩雑な手続きをしてガザを出る許可を得て、ヨルダンで手術を受けました。まだ療養中で、緊急に高度な医療が必要になった場合でも検問所が完全に封鎖された今はガザから出ることができないので、お父さんの身をとても案じています。そんな状態で自分の家族のことだけでも手一杯なのに、周囲の困っている人を自宅に匿ったり、怪我した人のためにと献血に行ったりしています。出かけるのは危険なので本当はやめてほしいのですが、「人道支援者として、今、自分にできることをする」と話していました。
「若者たちが現金を必要とするから……」
もう一人のスタッフ、サミラはとても教育熱心な4人の子どものお母さんです。仕事への使命感も高く、とても頼りになる人です。今回のイスラエルからの報復攻撃で、自宅のある同じ地区でマンションが木っ端微塵になる被害が出ました。空爆の翌日に電話があったので、もしや家族に何かあったのかと思ったら、「支援事業に参加しているパレスチナの若者たちが緊急事態できっと現金を必要とするから、先月の労賃をできるだけ早く払わないといけない」と言うのです。
──労賃? それはどういうことでしょうか?
矢加部 これはピースウィンズがガザで行っている「キャッシュ・フォー・ワーク(仕事の対価としての現金)」の事業で発生する「労賃」のことです。現地の市民団体(教育、障害者福祉、農業等)にパレスチナの若者を派遣して、それに対する報酬を私たちが支払っています。パレスチナ自治区はイスラエルに封鎖されているために物資が入ってこないし、経済状況が悪い。大卒の若者(22〜26歳)の7割(若者全体だと6割)以上が職に就けていないのが現状です。専門知識も能力も働く意思もあって、機会さえあれば活躍できる人たちに仕事がなく、そのために絶望していく若者が多い。その状況を改善するための事業です。
サミラは、爆撃の続く混乱状態の中で、この事業に参加している若者たちの労賃を心配していたのです。彼らをはじめ、パレスチナの人々を見ていると、人間ってどうしてこんなに強くいられるのだろうと心を揺さぶられます。私たちが接しているガザの人々は、一人一人が使命感を持って、紛争で痛めつけられた社会を立て直すためにできることを全うしています。一方で、彼らの善意や「火事場の馬鹿力」みたいなものだけに頼っていては限界があるので、そこに我々NGOが入って一緒に活動する意味があります。
──本当にそうですね。ガザに直接支援に入れない現状で、エルサレムにいる矢加部さんは何をしているのですか?
矢加部 停戦後に速やかに支援に入れるように情報を収集しています。並行して、日本のみなさんに支援を呼びかけて、態勢を整えているところです。
※パレスチナ・ガザへのご支援についてはこちらをご覧ください。
将来に希望を持てる世の中に
──少しご自身のことを聞かせてください。矢加部さんが人道支援の仕事に就いたのはどうしてですか?
矢加部 大学でトルコ語を勉強してクルド問題を知ってから、中東地域の紛争に関心を持つようになりました。トルコではかつて、分離独立を目指して武装闘争をしたクルド人組織の活動が活発だった時期に、「テロとの戦い」の名の下にクルド人を弾圧した過去があります。同様に、パレスチナでもテロとは何の関係もない人が空爆の犠牲になっています。そうした状況の中で、若者が絶望したり、絶望の果てに過激思想に救いを求めたりすることなく、将来に希望を持って生きられる世の中になるように、自分にできることをしたいと思っています。70年続いてきたパレスチナ問題に簡単な解決策はありません。しかし、ガザには危機的な状況の中で一人一人が高い志を持って「自分たちが困難な状況にあるガザを支えるのだ」という熱い思いを持った人たちがたくさんいます。彼らは、日本の団体がこれまで行ってきた活動を高く評価し、「腐敗とは無縁で、規模は限られていても、脆弱な人に必要な支援をしてくれている」「第二次世界大戦の焦土から復興した日本のように、ガザを立て直したい」と信頼を寄せてくれています。彼らの期待に少しでも応えたいというのが私のいちばんの想いです。