【難民問題を学ぶ#04】気候変動に伴う自然災害と紛争に苦しむアフリカ・モザンビーク。絶えない被害がもたらす人道危機とは
2024年12月、大型の熱帯低気圧サイクロン“チド”がアフリカのモザンビーク北部を襲い、およそ45万3,000人にもおよぶ人が被災しました。この事態を受けピースウィンズではスタッフを現地に派遣し緊急支援を開始しましたが、モザンビークではこうした自然災害が実は毎年のように発生しています。シリーズ「難民問題を学ぶ」4回目では、気候変動による自然災害に苦しむモザンビークの人道危機について、2019年から現地にて支援活動を続ける岩野奈緒に聞きました。
コレラ感染症の二次災害もまねくサイクロン被害
―― モザンビークでは毎年のように自然災害が発生していますが、具体的にどのような被害が起きているのでしょうか?
アフリカの南東部に位置するモザンビークは、地理的に毎年発生するサイクロンの通り道になっているんですね。サイクロンそのものの発生を防ぐことはできないので、結果的に大小はありますがほぼ毎年、災害が発生している状況です。
まず大きな被害として、高潮や川の氾濫による浸水などの水害をはじめ、暴風で家の屋根が飛んでしまったり、倒壊してしまうといったことが発生します。家を失うだけでなく、同時に農作物なども被害を受け、食べるものもなくなります。
もうひとつ、これは日本ではあまり想像できないと思いますが、モザンビークも含めたアフリカでは、穴を掘ってそこに用を足すという簡易的なトイレが多く、洪水が起きるとそのトイレの糞尿があふれ出ることが少なくありません。その結果、コレラなどの感染症が蔓延してしまうことも、サイクロンの二次災害として大きな問題になっています。
―― モザンビークの政府としては、どのような対策・支援をおこなっているのでしょうか。
モザンビーク政府は、サイクロン被害で住む場所を失った人びとを「国内避難民」として認定し、新しい土地を与えるといった支援をおこなっています。被災者は、まず一時的な避難所で避難民の登録をおこない、その後、「ReSettlement Center(リセトルメント・センター)」に移動して自分たちで家を建てることになります。
「ReSettlement Center」とは、日本語に訳すと「再定住居住地域」という意味。つまり、モザンビークにおける国内避難民支援は、一時的に避難するという目的ではなく、新しい土地を与え、そこに定住することを政府は求めていることが大きな特徴です。
―― 避難者たちが自分たちで家を建てるということですか?
はい。支援団体によって家を建てる資材が配付されます。配付される資材は、アフリカの伝統的な手法で家をつくるためのもので、基本的に土と竹や木を材料にして組み立てていきます。屋根はブルーシートを使ったような簡易的な家ですが、それでも最低限、雨風をしのげるものになります。
家を建てる場所は本当に“手つかずの地”というイメージで、与えられた土地は開墾されていないことが多く、住民はまずその土地をさら地にしなければいけません。ときには森のなかで木を切るところから始めなければいけない場合もあります。
ほかの国のように政府やNGOが難民キャンプを設営するのではなく、浸水や洪水被害が起きやすい地域には住まないでほかの場所に移住してください、というのが政府の基本的な考え方で、その代わりに新しい土地を支給するという方針がとられています。
脆弱な人びとがさらに困窮していく現実
―― ピースウィンズは、モザンビークにおいてどのような支援をおこなっているのでしょうか。
政府としては土地の提供までが支援なので、そこから先はピースウィンズも含めた各NGOが支援に入ります。ピースウィンズは、2019年にモザンビークを襲ったサイクロン“イダイ”で大きな被害が発生したときに被災地に入り、以来、今回の緊急支援も含めてニーズに合わせた支援を続けてきました。
具体的には、家を建てる資材や食料の配付をはじめ、国から指定される再定住居住地域はその多くが未開拓地で、給水などのインフラなども整える必要があります。そのため家を建てるだけでなく井戸を掘削し、生活ができる環境づくりをサポートしていきます。
生活インフラが整ったら、次は学校や病院などの社会インフラも必要に応じて建設していくようになります。定住を目的としていますので、村をつくっていくようなイメージです。
さらにその後の課題としては、生計をどうたてていくか。新しい地域で生活できる環境が整っても、収入がなければ生活していくことは難しくなるため、まずは緊急支援として雨風をしのぐ家づくりのサポートから始まり、生活と社会インフラを整え、最後にそこで生きていくための生計支援までおこなうのが人道支援の大きな流れになります。
―― サイクロンが毎年発生するということは、その再定住居住地域に移ってもふたたび被害を受ける、ということにはならないのでしょうか。
再定住居住地域は、基本的に浸水被害が起きにくい場所が指定されるため、同じように洪水被害に遭うようなことはあまりありません。しかし、サイクロンは豪雨だけでなく、暴風もともなうため、家の屋根が飛んでしまったり、家そのものが風で倒壊してしまったりする被害があります。どうしても簡易的な家なので強度は弱く仕方ないのですが、浸水被害はまぬがれても家が倒壊する、ということが繰り返されています。
―― つまり、サイクロンがなくならない限り、毎年、支援が必要になる。
はい、しかし残念ながら気候変動の影響で海面温度が上昇して熱帯低気圧が発生しやすくなり、サイクロンの発生は収まるどころかむしろ頻発化してきています。
さらにここ数年は、国際的に人道支援に対する資金は縮小傾向にあり、現実問題として支援する資金と体力が追い付かなくなってきている状況です。その結果、緊急支援として生活インフラの整備や復旧まではなんとか支援できても、その後の社会インフラや生計支援まではできないまま、多くの事業で支援を撤退せざるを得ない状況が出始めています。
こうした厳しい状況のなかで、現地で大きな問題となっているのが、脆弱な人びとが度重なる自然災害でさらに困窮してしまうという現実です。もともと経済レベルが低い人が被害に遭い、家も食料や衣服などすべて失って、そこからまたゼロからそろえていく経済力は残念ながらありません。
つまり、復興どころか、あらがえない連続する災害でもともと貧困な生活レベルがさらに落ち続けてしまう人道危機が、モザンビークが抱える大きな課題となっています。
さらにモザンビークには、こうした自然災害による国内避難民だけでなく、国内の紛争による被害を受け、帰る家を失った国内避難民も数多く存在するという問題を抱えています。
避難民を襲う武装勢力による絶えない残虐行為
―― 自然災害、紛争の両方の被害が広がっているんですね。
基本的に自然災害で家を失った避難民と、紛争から逃げる人びとが避難するエリアは異なり、紛争被害は北部のタンザニアとの国境付近が多く、サイクロンによる自然災害は中部あたりに集中しています。紛争から逃れてきた避難民も同じように国内避難民の登録をおこなったのち、土地が支給され、再定住居住地域で生活していきます。
自然災害が激甚化する一方で、紛争被害の状況はさらに深刻です。UNHCRの資料によると、12月のサイクロン“チド”でさらに激増しましたが、2024年11月時点での自然災害に被災した国内避難民は139,333人、紛争被害の国内避難民はそれよりもさらに多い577,545人にものぼります。
北部エリアは中部地区に比べるとここ数年は(サイクロン“チド”で被災するまで)サイクロン被害は少ないですが武装勢力による襲撃が絶えず、せっかく再定住居住地域で生活の立て直しをしているのに、さらに避難しなければいけないといった状況が頻発しています。
通常、難民キャンプは、最低限の安全性は守られていますが、モザンビーク北部の再定住居住地域に関しては、安全性は確保されているわけではないのです。
―― もっと安全な、たとえば他の国の難民キャンプに避難することはできないのでしょうか。
逃げるにしても経済的に歩いて移動しなければならない人が少なくありません。遠くに逃げたくても行けないという現実があります。
それと、これは比べてはいけないことですが、モザンビークで起きている紛争は、国と国の戦争ではなく、武装集団が村を襲撃するなどのテロ攻撃が多く、規模的に小さいことも影響しているのかもしれません。少し逃げれば当面は助かるという意識があるのでしょう。
しかし、武装勢力はしつこく集落を追いかけ、家に火をつけて住民が逃げている間に食料や物品など強奪していくという焼き討ちだけでなく、なかには住民の首を切ってさらすなど恐怖を煽って逃げさせるような残虐行為が横行しているという話もあります。
さらに女性や子どもは誘拐され、若い男性は武装勢力に兵力としてリクルートされたりすることもあります。生活が困窮しているので、武装勢力に入ればお金をもらえると言われると、生きるために加担せざるを得ない。ピースウィンズでは、こうした流れを防ぎ、平和構築にもつながるように自立した生活を営むための生計支援にも力をいれています。
希望を守るために、あきらめない
―― 災害や紛争が繰り返されるなかで、国内避難難民たちには未来や希望はあるのでしょうか。
厳しい状況に変わりはありません。私が2019年に最初に支援に入った頃は、サイクロンで村は壊滅してしまい、みんなすべてを失って心身ともに立ち直れないほどの大きなダメージを受けていました。さらに連続して被災するとどんどん疲弊していってしまうおそれもありましたが、厳しい状況のなかでも家族や仲間を助けるために自然災害に立ち向かっていこうとする人たちがいます。
たとえば、各村に防災を学ぶコミュニティがつくられ、サイクロンの予報があると、みんなで土嚢を積み上げて浸水に備えたり、窓に板などを釘で張り付けて割れないようにするなどの対策を講じたりする動きが広まっています。
また、小さなことですが、外で遊んでいた子どもがサイクロンで命を落としたという事故も発生していましたが、啓発が進んだ結果、今ではサイクロンが来る前に外で遊んでいるような子どもはいません。被害を最小限にしようと確実に家族単位での防災意識は高まり、サイクロンによる犠牲者の数は確実に減少傾向にあります。こうした事実は、私たち支援者側にとっても大きな支えになっています。
一方、北部の紛争は2017年から続いていますが、なかなか収束する気配がなく、支援する側が疲弊しはじめてきています。
せっかく支援してこれから新しい未来を築いていける、その入口まできたところで災害や攻撃に遭ってまた逃げなければならない……。現地にいてとても歯がゆく、悲しさと悔しさと怒りが入り混じった感情を何度も味わいました。
正直、支援する側も心が折れそうになりますが、それでもどんなに苦しくても再定住居住地域で希望を持って生きていこうとする人たちがいます。すべて100%いい結果は出せませんが、そのなかでも長年続けてきた支援の芽が出始めているのも事実です。そこにやりがいを感じながら、私たちもあきらめず、できる限りの支援を続けていかなければいけない、そう思っています。
また、こうしたモザンビークの現状は、残念ながら日本も含めて世界的にもあまり知られていません。現地で支援をする日本の団体も少ないなかで、私たちがここで起きている現実を発信し続けることで、一人でも多くの人に知ってほしいと願っています。(了)