州都バンダアチェでコミュニティ再生を支援
スマトラ島沖地震で、インドネシア・スマトラ島北部のナングロ・アチェ・ダルサラム州(旧アチェ特別州、以下アチェ州)での緊急支援を続けているピースウィンズ・ジャパン(PWJ)は1月下旬からアチェ州の州都バンダアチェでも支援活動を開始しました。被災者たちが以前、暮らしていた地域に戻って生活を始めるための最初の支援として、被災者自身による瓦礫撤去をサポートしています。
簡易保健所の清掃
2日がかりの作業の後、参加者の集合場所になった
(C)Peace Winds Japan
PWJが支援を続けてきた西海岸のムラボーと同様、バンダアチェ周辺でも、地震と津波の深い傷跡は被災1カ月の今も消えません。海岸沿いには瓦礫と泥の山が続き、家が残っている被災者も自宅に戻ることができません。ブルドーザーなどの重機は大きな道路しか入れず、狭い道や家の中に入り込んだ瓦礫と泥は手付かずのまま残されていました。コミュニティ単位で生活物資や住宅の再建のための資材の配布を行うにも、物資を持ち込むことが困難。避難所や親類の家に身を寄せている被災者たちにとって、復興を思い描くことさえ遠い状況でした。
PWJは、援助団体間の調整や情報収集のため、1月上旬からバンダアチェにもスタッフを常駐させてきましたが、住民の状況を受けて支援を実施することを決定。住民がコミュニティに戻る第一歩として、住民自身がコミュニティの瓦礫撤去を行う事業を開始しました。
写真左:コミュニティ再生をめざし汗を流す参加者
写真右:津波で流された船が民家に=ランバロ・スケップ
(C)Peace Winds Japan
現在、事業に参加しているのは、バンダアチェ東部のランバロ・スケップというコミュニティの住民たち。PWJがマスク・長靴・シャベル・くわ・一輪車などを用意し、住民たちはグループに分かれて、それぞれ決められた区画の瓦礫と泥の撤去作業を行っています。作業は、朝8時から夕方5時まで。参加した住民には、1日に3万ルピア(日本円で約350円)を支払うほか、昼食としてナシブンクース(ナシはご飯、ブンクースは包むという意味)というちまきのような形をしたご飯と、スープ(ビニール袋に入っている)、水を提供しています。
事業開始当初、不慣れな作業と被害の大きさに困惑していた参加者たちも、モスクなどの公共施設を皆で片付けるうち、木材は燃やす、プラスチック製品は再利用する、泥は収集車に持っていってもらう、という仕事の流れを覚え、作業のペースを上げていきました。しかし、木材から飛び出している釘や、足元をすくう泥への警戒を怠るわけにはいきません。公共施設から始まった作業も、現在は被災者個々の家の瓦礫撤去作業に移行しています。
※この事業は、一般のみなさまのご寄付やジャパン・プラットフォームの協力によって進めています。PWJの活動に一層のご支援をよろしくお願いいたします。