【ケニア】多国籍キャンプとリオに輝く星
ケニア北西部、南スーダンとの国境沿いに位置するカクマ難民キャンプ。1992年に開設され、25年目になる現在も160,000人以上の難民が生活を送っています。カクマ難民キャンプの特色の一つとして挙げられるのが、国際色の豊かさです。難民の出身国は19ヶ国にも及び、ケニア近隣の東アフリカ諸国(南スーダン、タンザニア、ウガンダ等)の他に、コンゴ民主共和国といった中部アフリカ諸国、ブルキナファソといった遠く離れた西アフリカ諸国、さらには中東のサウジアラビアやイエメンからの難民も生活しています。皆さんには馴染みの薄い国ばかりで想像しにくいかもしれませんが、世界地図を見てお分かりになるように、アフリカ大陸は非常に広大です。そのアフリカ大陸の各地から、また中東からも安心で安全な暮らしを求め、難民がカクマを目指してきているのです。
写真左:手作りの太鼓を使いPWJを迎えてくれる子供たち、同右:人懐っこいキャンプの子供たち
彼らが遠く離れたカクマ難民キャンプに来た理由を聞いてみたところ、「20年以上キャンプが存在しているため、キャンプが閉鎖される可能性が少ないから」「迫害者から逃げるために難民になったのに、隣国のキャンプではすぐに追いかけてきて再度迫害を受ける恐れがあるから」といったことでした。カクマに新しくたどり着いた難民は、既にキャンプで生活を営んでいる親類宅に身を寄せることが多々あります。その結果、特定の場所に特定の国籍者が集中することになり、キャンプ内には「ソマリマーケット」「エチオピアマーケット」などと、そこに集う難民の国籍を表した場所がいくつか存在します。また、同じ出身国でも民族が異なれば文化・風習も異なります。
ソマリマーケット。道の両脇にお店が並ぶ
8月、このように様々な国の人々が暮らすカクマで、大きな一体感が生まれました。ブラジルのリオデジャネイロで開催されたオリンピックに、五輪史上初の「難民選手団」の一員として、カクマ難民キャンプから5名が出場を果たしたのです(チームシンボルは出身国の旗ではなく、五輪旗)。選手に選ばれたのは、幼少期からキャンプで過ごしてきた人、少年兵として拉致され難民キャンプに逃れてきた人などです。そのような環境にも負けず、オリンピックへの切符をカクマの難民が勝ち取ったことは、キャンプで暮らす多くの人々に大きな希望を与えたのではないでしょうか。
カクマに戻ったオリンピック選手を出迎える難民
選手と共に民族ダンスを踊る難民と支援団体職員
ピースウィンズ・ジャパン(PWJ)がこの国際色豊かなカクマ難民キャンプで活動を始めてから約一年半が経過しました。多国籍なキャンプゆえ、様々な国・民族の文化に触れられる機会に恵まれているのですが、そこでの支援には細やかな配慮が求められます。意図しなくとも、結果として特定の国籍・民族のみに支援を実施すると、キャンプ内に新たな摩擦を発生させてしまう可能性があるからです。
近い将来、実力あるアスリートが「難民選手団」としてではなく、母国の旗の下オリンピック・パラリンピックに参加できる社会になることを願いつつ、PWJは支援を継続していきます。
報告:富樫良輔 (カクマキャンプ駐在員)