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私たちの活動

サイクロンの傷跡、今も〜ドンヤン村にて〜

今年5月にサイクロン「ナルギス」がミャンマーに大きな被害を被害をもたらしてから半年以上がたちました。しかし、その傷跡はなお深く残っています。ミャンマー沿岸部のディディエ地区ドンヤン村に、ピースウィンズ・ジャパン(PWJ)スタッフが11月末に泊まった時のことです。明け方、「お母さん!助けて!水がどんどん上がってくる。お母さん、助けて!お母さん!」。耳をつんざくような叫び声に、PWJスタッフをはじめ、近くに住む人たちが驚いて跳び起きました。高熱で寝込んでいた12歳の男の子が、サイクロンが村を襲った時の夢をみて、うなされていたのです。

日中、村の子どもたちは元気に走り回って、時にはにかみながら、いたずらっぽい笑顔を向けてくれます。サイクロンのことはすでに忘れてしまっているのではないか、と思ってしまいがちです。しかし、サイクロンの記憶は彼らの頭の片隅に刻み込まれていて、ふとした折によみがえってくるようです。

笑顔あふれる普段の子どもたち笑顔あふれる普段の子どもたち

笑顔があふれる普段の子どもたち
(C)PWJ/Hiroko TAKAHASHI

ミャンマーの広大なデルタ地域の村々は、まだ電気が通っていないところが多く、夜は真っ暗です。通信手段といえば、村に数台あるラジオのみ。このような状況で暮らしている人びとを、突然サイクロンが襲ったのです。
2008年5月2日、現地時間の午後6時頃から風雨が強まってきましたが、大型のサイクロンが近づいていることを知るすべのない村人たちは、そのうちおさまるだろうと楽観し、普段どおりの生活を続けていました。しかし、風雨は一向に衰えず、それどころか午後8時頃からどんどん勢力を強めました。川の水位は上昇し、波となって村まで押し寄せてきました。
 「逃げる所もなく、暴風で大きく傾き始めた家の中、床の上1mくらいまで上がってきた水に浸かりながら、ただじっとしているしかなかった」
村の老夫婦は語ります。
暗闇の中、やみくもに逃げ出した人たちの中には、そのまま波にさらわれてしまった人も多かったそうです。電気のある生活が当たり前の私にとっては、訪問した村の夜の暗さすら、あまり経験したことがなく、その中で味わった彼らの恐怖はどんなものだったのか、ただ想像することしかできません。

お母さんと一緒に

お母さんと一緒に
(C)PWJ/Hiroko TAKAHASHI

サイクロンによって、家族や、友人、そして住む家まで、多くのものを失った人びとですが、被災から6か月が経過した今、生活を立て直そうと、一丸となって取り組んでいます。この村でPWJは、村の人たちと一緒になって、道路の修復事業を実施しました。修復の済んだ道路には、オートバイや自転車の往来が戻ってきました。村の人たちが希望を持ち続けることができるよう、PWJでは引き続き支援を続けていきたいと思います。

彼らと共に

彼らと共に
(C)PWJ/Hiroko TAKAHASHI

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