【東ティモール】「小さなことでも、支援関わりたい」 大学1年・松本君インタビュー/現地で40日間インターン
ピースウィンズ・ジャパン(PWJ)の支援地・東ティモールでは、コーヒーチェリーの収穫期に合わせ、日本の学生をインターンとして受け入れています。現地での活動も15年目を迎え、少しでも日本の若者たちに東ティモールの現状を知ってもらいたいというのが目的です。この夏、40日間にPWJの支援に滞在した青山学院大学1年の松本貫佑君にインタビューしました。
【写真説明】PWJのスタッフたちと松本君(後列左から2人目)
PWJ:東ティモールに興味を持ったきっかけを教えてください。
松本:高校入学後、友達に誘われ、フェアトレードについて学ぶ有志団体「ブルーペコ」に入りました。その時はまだ、東ティモールのことは何も知りませんでしたが、ブルーペコの活動を通じて、フェアトレードの一例として、東ティモールのコーヒーがあるということを知ったのです。でも最初は「おいしいコーヒーを作っている場所」というくらいの印象でした。
松本:学校の文化祭などでコーヒーを販売するようになり、お客さんから「東ティモールってどんな国なの?」と質問されることがありました。でも、国の場所などの簡単な説明しかできない。その時から、コーヒーだけではなく、東ティモールのコーヒーについてもっと知りたいと思うようになりました。そこで出会ったのが、東ティモールで人道支援、開発支援に携わっていたPWJでした。さっそく事務所を訪ねました。1999年のインドネシアとの戦争、2002年の国家独立などの歴史には正直驚きました。まさか、自分がちょうど生まれた頃に戦争が起き、多くの人たちが傷ついた末に誕生した国があるなんて。それまで文化祭でコーヒーを売ることしか考えていなかったことや、自分が紹介していた東ティモールについて全く知らなかったことに気づきました。と同時に、いつか現地を訪ね、どんな国なのかをこの目で見たいという思いが高まりました。そして、このおいしいコーヒーを作っているはどんな人たちなんだろう、と。
この願いは学校のサポートもあって、実現しました。ただ、高校生が途上国に行くことを心配する方も多いので、認めていただけるように準備を怠らないように頑張りました。フェアトレードとは何か。どうしたら美味しいコーヒーが作れるのか。コーヒーがどのような流れで取引されてどんな問題点があるのか、などについて勉強しました。その成果もあって、自分を含め2名がスタディツアーとして現地に行けることに。生徒たちの代表として行くからには、帰国後、現地で学んだことを全校生徒に伝える!というくらいの覚悟を持たなければいけないと、自分に言い聞かせました。
PWJ:素晴らしい心意気です。初めて東ティモールを訪れたときの印象は?
松本:首都のディリは、もう少し発展しているかと思っていましたが、高い建物がほとんどありませんでした。首都なのに、にわとりが歩き回り、夜は街灯や建物の光も少なくて暗い。空港も小さかった。一方で、現地の人たちは予想以上に明るかったです。もっと紛争の傷跡が残っているのかと想像していましたが、自分たちを快く受け入れてくれました。
【写真説明】いずれも松本君が現地で撮影
PWJ:コーヒーの産地であるレテフォホの印象はいかがでしたか?
松本:農家さんたち一人ひとりのコーヒー生産に対する熱意には驚きました。言葉は悪いですが、実は心のどこかで、お金のために仕方なく作っていて、品質にもさほど関心がない人もいるだろう、と想像していました。ところがお話を聞いてみると、コーヒーの実の乾燥の仕方、パーチメントの水分の値についてなど、非常に細かく、よく考えられていました。通訳を介してでしたが、印象に残っている農家さんの言葉は、「僕たちには良くも悪くもコーヒーしかない」。よりよいものを作ることが使命だ!という意志を強く感じました。レテフォホの地域に住んでいる人たちは私たちを家族のように温かく迎えてくれ、素敵な場所だと思いました。日本より昼夜の寒暖差があり、これがコーヒーの生産に適した気候だと知りました。
PWJ:その他、農家さんを訪問して印象に残ったことは?
松本:レテフォホの子どもたちに好きな食べ物は?と聞いたら、「お米」と答えたことに驚きました。お肉のおかずとか、お菓子とかを挙げるかと思っていました。日本で好きな食べ物を聞かれて「お米」と答える子どもがどれだけいるでしょうか。日本では、お米は当たり前すぎて、お米を食べたい、とは思わない。その子は5歳の女の子だったのですが、日本の5歳児より小さく見えました。
PWJ:ティモールではどんなことをしましたか。
松本:コーヒーの実である真っ赤なコーヒーチェリーの収穫を手伝いました。険しい山で、大量の木の実の中から赤い実だけを手作業で摘みました。お手伝いしたのは短時間で、話をしながら楽しかったのですが、これを毎日、何時間もやると考えると、とても気の遠くなる作業だと思いました。また、帰国後、他の人たちにも東ティモールについて知ってもらいたいと考えていたので、きちんと伝えることができるように、渡航する前から、多くの市民の死者が出たサンタクルス虐殺事件を含め、歴史についてはたくさん質問して話を聞きました。
【写真説明】いずれも松本君が現地で撮影
松本:滞在している間は、別の世界にいるようでした。東ティモールを肌で感じ、帰国前から「もう一度ここに来たい」と思うようになっていました。もっと色々なティモールの一面を見たい、知りたいと。単純に、ティモールという国でとても楽しく過ごせたからです。娯楽などは日本に比べれば少ないけれど、東ティモールの人々はとても明るく、とにかく前向きな姿勢にとても刺激を受け、居心地がよかったのです。
PWJ:大学生になり、1年ぶりに今回インターンとして再び東ティモールを訪れて、どんなことをしていますか。
松本:品質管理のためのコーヒーのカッピングのお手伝いをしたり、在庫管理がしやすいように倉庫を整理したり、ときにはローカルスタッフに聞かれて日本語を教えたりもしています。また、二度目の訪問で、改めて、コーヒーがいかにこの国の人たちの生活の糧となり、暮らしを支えているのかを実感しました。
PWJ:休日は何をしていましたか?
松本:こちらでできた友人に誘われ、バトミントンやソフトボールに参加しました。日本人の集まりでは、様々な年齢層や職業の方々と交流が持てます。せっかくだから自分から話すようにしなくては、と思っているうちに人見知りがなくなったように思います。明るく、とても前向きなティモールの人々と接する中で、自分も自信がついてきて、ちょっと性格が変わったかも?と感じることがあります(笑)
PWJ:今回の経験を、将来どのように活かしたいですか?
松本:東ティモールに到着した日、ここにいる間に知りたいこと、やりたいことを書き出しました。「現地のスタッフの話をたくさん聞く」「いろいろなところに行く」。まだ日本では東ティモールの国の位置すら知らない人も多いので、自分がきちんと理解して帰り、ちゃんと伝えられるようになりたいです。将来のことはまだ何も考えていなくて、今はただ好きなことをやっているだけです。でも、どんなに小さなことでも東ティモールとかかわっていけたら良いなと思っています。