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【トルコ】トルコ大地震から1年10ヶ月(2) ピースウィンズが行ってきた支援と残る課題

トルコ史上最大の地震から1年10ヶ月。コンテナ製の仮設住宅での暮らしを余儀なくされている人びとの中には、隣国シリアから逃れてトルコで暮らしていた避難民がいます。紛争と震災という度重なる災難に見舞われた人びとの傷ついた心は簡単に癒されるものではありませんが、ピースウィンズは地元NGOのソリダリティ・リスペクト&プロテクト(SRP)とともに、シリア人キャンプに子どもたちが安心して過ごせるチャイルド・フレンドリー・スペースを作って、子どもたちと保護者の心のケアを行ってきました。
 

チャイルド・フレンドリー・スペース


キャンプでの避難生活が長引く中、人びとは拾ってきたソファや植栽で暮らしを彩る

 
地震の被害が大きかったハタイ県はシリアと国境を接しているため、シリアから逃れてきた人が数多く暮らしています。シリアは2011年ごろから政府と反政府勢力、他国の影響下にある勢力などが入り乱れて激しい武力衝突が続き、今も膠着状態が続いています。そのため、シリア難民の一部はトルコに定着。イスケンデルン市内の一角は「シリア通り」と呼ばれ、難民が経営するレストランや雑貨屋が立ち並んでいます。こうした人びとが2023年の大地震の被害に遭いました。
 
イスケンデルン市内のユルデュルム・テペはシリア人のためのコンテナ・キャンプです。ここでSRPの心のケアを受けていた子どもたちの変化について、お母さんたちが話してくれました。
 
・「私はお母さんになりました」
 
マハセさんは25歳。4人の子どもを育てていて、7歳のエミル君は長男です。地震前、エミル君は明るい男の子でしたが、地震が起きた時、お父さんと一緒に瓦礫に埋められ、救助が間に合わず、お父さんはエミル君の目の前で息を引き取ってしまいました。その後、救助されたエミル君はじっとしていることができず、眠ることもできず、イライラからきょうだいに暴力を振るうようになったそうです。話しかけても耳を塞ぎ、現実逃避しているようだったと言います。「まるで、自分は失うものは何もないとでも思っているようでした」とマハセさんは語ります。
 
でも、チャイルド・フレンドリー・スペースに通うようになって、少しずつ変化が現れました。最初は、その日何をしたかを話してくれて、そのうち絵を描きたいと言い始めて、少しずつ落ち着いて、きょうだいにも優しくできるようになったといいます。マハセさんは言います。「自分は死んでいない。生きている人間だということを理解して、生きている人を大切にする以前のエミルに戻りました」。秋になって学校に通うことにも興味が出てきたそうです。
 
マハセさんは子どもの世話に追われてSRPが用意してくれた保護者のトレーニングには参加することができず残念だったけれど、エミル君のことでSRPスタッフに相談にのってもらううち、子どもに対する理解が深まり、母親としての自分の役割もわかってきたと言います。その気持ちをこんな言葉で語ってくれました。「ここでの経験を経て、私はお母さんになりました」。
 
8歳のハニムさんの経験も過酷なものでした。母親のラワさんによると、地震が起きた時、他の家族は外出していて、家にいたハニムさんとお母さんが家で瓦礫の下敷きになりました。ギリギリお互いの顔が見える位置でした。血だらけのお母さんは大声で「誰か助けて」と叫び続け、ようやく助け出された2人はバラバラになった人の体を踏みながら外に出ざるを得なかったそうです。そんな経験のあと、ハニムさんは1ヶ月、被災当時を思い起こさせる母親の声に怯え、喋ることもできず、避難所の外に出ることもできなくなりました。
 
でも、チャイルド・フレンドリー・スペースに通ってSRPスタッフや他の子どもたちと関わるうちに、言葉を取り戻し、今では話すのも歌うのも大好きな快活な子に戻り、SRPスタッフが「ハニム先生」と呼ぶほど、小さな子どもの世話をテキパキとこなすようになりました。
 

明るさを取り戻したハニムさんとお母さん

 
やはり恐怖の体験から言葉を失っていた5歳のオメル君のお母さんが、息子の変化を語ってくれました。初めてチャイルド・フレンドリー・スペースに来たオメル君はお母さんの洋服を掴んで影に隠れていましたが、3回、4回と通ううちに、「次はいつ行く?」と聞くようになり、やがて「行ってもいい?」とひとりで来れるようになったといいます。
 
SRPスタッフは言います。「初めてオメルがひとりで来たとき、私たちは本当にうれしかった。そして、お母さんとさえ話ができなかったオメルが、今では自分の気持ちを言えるようになり、『自分は幸せな子ども』だと言ってくれます。そのことがとてもうれしいです」。
 
オメル君のお母さんのヒタムさんは自分自身にも変化があったと言います。「オメルが喋れなくなった時、私は『すぐに治って欲しい』としか考えていませんでした。でもSRPの人たちと話すうちに、変化は時間と一緒に来るものだとわかりました。忍耐を学びました。私にとっても良い機会でした」。
 

チャイルド・フレンドリー・スペースではお母さんたちの勉強会も開かれました

 
トルコで暮らすシリアの人々が少しでも心安らかな生活を送ることができるよう、ピースウィンズは引き続き支援活動を行っていきます。
 
(つづく)
 
このプロジェクトは、みなさまからのご支援とジャパン・プラットフォームからの助成金によって実施しています。トルコの地震被災者はまだまだ支援を必要としています。ひきつづき、あたたかいご支援をよろしくお願いします。

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