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インタビュー

「入管法改定案は『人権の保障』に反している」
ピースウィンズジャパン海外事業部マネージャー・内海旬子

広報:ピースウィンズ国際人道支援 ジャーナル編集部

2021年に一度は廃案になった「出入国管理及び難民認定法(入管法)」の改定案が再提出され、2023年6月現在、参議院で審議されています。(※6月9日、参院本会議で可決、成立)この改定入管法が可決されると何がどう変わるのか? 果たしてそれは日本で暮らす外国籍の人にとってより良い改定なのか? 国内外で難民問題に関わってきたピースウィンズの内海旬子に、この法案の問題点について聞きました。

 

入管法改定案のポイント

──今審議されている法案の主なポイントを教えてください。

内海 出入国在留管理庁(旧入国管理局)の説明によると、改定案では次のようなことが提案されています。

1.難民申請を繰り返すことで送還停止となることを防ぐため、難民申請は2回まで。3回目は強制退去となる(例外はある)。
2.仮放免のあり方を見直して、場合によっては収容しない代わりに「監理人」が監理して逃亡を防ぐ。
3.難民に準じて保護すべき外国人を「補完的保護対象者」として認定し、保護する手続きを設ける。

 

──改定案に対しては、難民申請をしている人を強制的に送り返すことは難民条約違反だし人権侵害だという批判や、そもそも難民申請が適正に行われていない、新たに設置される監理人は「監視」するのではないか、収容所に入らなくても就労できないままでは生活が成り立たないといった批判の声がありますね。

内海 はい。今の法律や制度に問題があることは明らかなので、改正はされなければいけないと強く思いますが、今議論されている改定案では、改正にならないと思っています。
※上記を問題認識を踏まえ、この記事では 今回の入管法改正案を、入管法改「定」案と表記しています。

 

──どういうことでしょうか?

内海 そもそも出入国在留管理庁という、「日本に入ってくる外国人を行政的に管理する」官庁が、難民の審査もやっていること自体、客観性・公平性の観点から問題だと長らく指摘されてきました。「難民の保護」の観点から、まずここを正さないといけないと思いますが、改定案ではまったく触れられていません。しかも、その難民審査が、難民認定をしない定評のある審査参与員に集中して、異様な速度でないと審査できないような大量の審査をさせるような恣意的な運用がされていたことも最近の報道でわかってきました。

次に、日本は1981年に難民条約に加入した国でありながら、難民認定数が著しく少ないことは周知のとおりですし、1998年以降、入管収容問題に関して、国連人権機関から繰り返し改善勧告を受けています。スリランカ人ウィシュマさんの不幸な死を例に挙げるまでもなく、日本の収容施設には様々な問題があることが明らかでありながら、これに対する改善策もありません。

そして何よりも問題なのが、難民認定の申請中には送還対象にならないという現状の原則を変え、3回以上申請した人は強制送還できるようにするという乱暴さです。そもそもの審査過程に問題があることが明らかになったのに、です。何度も申請する人は、「帰国できない事情のある人たち」です。それぞれの事情の判断が正しくされなかったと思ったら、再申請するでしょう。難民と認定されないままの生活は、制限が多く、経済的な補償もなく、非常に厳しいものですが、それでも「強制送還されないから」との理由だけで、申請しようと思う人が多くいるとは思えません。

 

 

難民になろうと思ってなる人はいない

──「難民」と言う際に、難民条約で定義するような狭い意味での「難民」の他に、ピースウィンズが世界各地で支援しているような「避難民」「帰還民」「被災者」といった、助けを必要とする人々が世界にはたくさんいますよね。

内海 はい。UNHCRのガイドラインにも記されていますが、狭義の「難民」だけでなく、戦争や暴力で家を追われ何もかも失ってしまった人たちは同様に保護の対象です。

わかっていただきたいのは、難民になろうと思ってなる人はいないということです。自分自身は何も変わらないのに、自分ではコントロールできない大きな出来事によって、ある日、難民と呼ばれる人になる。突然大きな力によって、人生が断ち切られる、その残酷さ。シリアでもウクライナでも、これまで出会った人たち、みんながそうです。前にシリアの難民キャンプの写真を見て、「難民がスマホ持ってる。ガラケー使ってる私が支援する意味がわからない」と言った人がいました。そうではない。「難民がスマホを持っている」のではないのです。「スマホを持った人が難民になってしまった」のです。加えて、今のご時世ではスマホはぜいたくの象徴ではありません。難民登録にもネットが必要な今、スマホは必需品、命綱なのです。

難民とはどういうことか、わかっていただくために、私たちが支援しているアフガニスタン人Sさんの物語を聞いてください。

 

アフガニスタンから逃れてきたSさんが語る難民生活のリアリティ

Sさんは33年の人生で2度、一夜にして世界がひっくり返る経験をした。1度目は2001年。9月11日の米同時多発テロの後、アメリカがアフガニスタンを空爆し、その年の暮れにタリバン政権が崩壊した時のこと。12歳の少年は「ある朝起きたら、タリバンがいなくなっていた」と感じた。

それからの20年、暮らしは日に日に良くなっていった。曲がりなりにも民主主義が導入され、女子に教育の機会は与えられ、何も持っていなかった貧しい少年は大学、さらには大学院まで進んで法律を学んだ。英語も身につけた。アフガニスタンのNGO勤務を経て、アメリカの政府系援助団体に転職した。家を手にいれ、兄の結婚で家族が増えた。テロや暴力事件が途絶えることはなかったが、いずれ平和な社会が訪れるだろうという希望を持っていた。

ところが2021年8月、アメリカが撤退するとガニ政権はあっけなく崩壊。即座にタリバンが権力の座に戻ってきた。

「今度は逆に一夜明けたらタリバンが戻っていました。いまだに何が起きたのかうまく説明できないくらい混乱しています。アフガニスタンが20年かけて作り上げてきたものが、一瞬にして失われ、私自身、家族も祖国も仕事も、すべて失ってしまったのです」。Sさんは、深いため息をつきながら語る。

民族が複雑に絡み合うアフガニスタンで、権力を握る民族と違う民族であればそれだけで迫害の対象になる。しかも、タリバンが敵視するアメリカの団体で働いていたSさんにとって、国に残ることは死を意味しかねなかった。まず隣国パキスタンに逃れ、その後、友人の支援を受けて90日間滞在できるビザを取得して日本にやってきた。

その後、1年の滞在が認められ、労働も許される特定活動ビザを得て、今年の春に更新することもできた。今はアルバイトをしながら、英語で働ける国に移住する道を模索している。

言葉のわからない日本で暮らし続けることは今のところ考えていないSさんは、難民申請をしていないため、今回の入管法改正で議論になっている「難民」とは違うが、政権が崩壊して混乱状況にある紛争地域を逃れざるを得なかったという意味では、実態として難民と同じ状況にある。祖国を離れ、家族とも離れ、言葉の通じない国で公的な支援もなく生きていくとは一体どういうことなのか、Sさんの心情を聞いてみた。

「途方に暮れています。自分は無だと感じることもあります。教育を受けて、スキルもある。できることがあるのに、能力を発揮することができない。将来に希望を持つことはとても難しいと思っています。他の国に逃れたアフガニスタンの人の中には政府の手厚い保護を受けている人もいます。残念ながら、日本にそういう支援はありません」

「人は過去と繋がっています。家族がいて、やりがいのある仕事があって、支え合って暮らしていた歴史が私にはあります。でも、それがすべて断ち切られてしまいました。内戦が続いたアフガニスタンでは、誰もが辛い経験をしています。若くして死んだ父は拷問を受けたことがあり、兄は軍隊にいるときに事故で死に、赤ん坊が残されました。弟は不当に投獄されたことがあります。こうした経験は母を苦しめました。アフガニスタンに傷ついていない人はいません。だからこそ、家族は緊密で互いを支えて生きてきたのです。そういう家族から離れて、一人で難民として暮らすのは‥‥本当に辛いことです。アフガニスタンにいる時は、すぐそばで爆発が起きたり、死と隣り合わせの生活でした。それはそれで厳しい暮らしでしたが、今の難民生活は、精神的にそれとはまた違った苦しさがあります」

「人権、国連、文明、市民社会‥‥立派な言葉はたくさんあります。でも、現実を見ると、こうした言葉はただの概念としか思えません。私の現実は‥‥いまだにうまく消化できていません」

 

 

難民は「サバイバー」

──Sさんの話を聞いていると、自分の能力を活かせない悔しさ、社会の中で居場所を持てない苦しさが伝わってきました。

内海 そうなんです。難民って何もできない「弱い人」ではないんです。できることがたくさんある。私たちが出会う時点で彼らは困難を生き延びてきた「サバイバー」なんですよ。どん底で立ち上がって、真剣に生きていこうとする強い人たちです。決して他国の人々の荷物になろうとしているわけではない。日本で生活する難民の人たちは、社会の中で役割を持って生きていこうとしています。そんな人たちを支えるのは国にとってとてつもなく大きな負担ではなく、日本はそのくらいの力を持てない国ではないはずです。

縁あって日本にやってきた人たちが生きがいを感じながら自立して生きていける社会。彼らをきちんと受け入れて共に生きていける社会。その方が、日本にとっても良いことだと思うのです。「外国人を追い出す・追い返す」ことに労力を割くのではなく、共に暮らせる社会に向けて力を注ぐ方が誰にとっても良いでしょう。

私たちだっていつ難民になるのかわからないのですから。

想像力を働かせたい。特に政策を司る人たち、難民申請の審査に当たる人たちには、想像力を働かせて欲しい。一人一人の事情をよく聞いて、理解した上で、難民認定をして保護すべき人かどうか、真剣に考えて欲しい。その人の人生の1ページに大きく関わる立場の人は、その事実を強く認識して欲しい。人権を保障するとはそういうことで、その認識を持たずに法律を議論すれば、私たちは大きな間違いを犯すことになると思います。行政は法律によって動きます。きちんとした法律があれば、運用もそれに沿ったものに変わっていく。だからこそ、人々の権利が守られるために、きちんとした法律が必要なのです。

 

【解説】日本の難民認定とは

1978年、インドシナ難民を受け入れたことをきっかけに、翌年から日本は難民の受け入れを開始しました。1981年には難民条約に加入し、その翌年に出入国管理及び難民認定法が整備されました。難民としての認定を受けるには、法務省出入国管理庁に申請をします。書類に加えて入国審査官(難民審査官)による面接を受けて認定の可否が通知されます。「人種、宗教、国籍もしくは特定の社会的集団の構成員であること、または政治的意見を理由に迫害を受ける恐れがあるという十分に理由のある恐怖を有すること」という条件を満たして条約難民として認定されると、在留資格が付与され、健康保険などの公共サービスを利用することができます。不認定となった場合、法務大臣に対し審査請求をすることができます。難民審査参与員を中心に再審査が行なわれ、それでも認定されなければ裁判所による見直しを求めることも可能です。難民審査の手続きは短くても数ヶ月かかり、不服審査や裁判所での審査を含めると何年もかかることがあります。日本政府の判断を待っている間は政府の支援はなく、適法に働くこともできず、市民団体や個人の支援に頼らざるを得ない場合もあります。不法入国の過去や待っている間に滞在超過になってしまうと収容されることもあります。日本では、1978年から去年までの44年間に、91,664 人が難民申請を行ない、難民として認められたのは12,665人でした(ドイツでは2021年の1年間に38,918人、フランスでは32,571人、イギリスでは13,703人が難民認定されています)。

 

WRITER
広報:ピースウィンズ国際人道支援 ジャーナル編集部
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