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【令和6年能登半島地震】発災から1ヵ月。これまでの支援、これからの支援について空飛ぶ捜索医療団“ARROWS”プロジェクトリーダー、稲葉基高医師に聞く

2024年1月1日、午後4時10分頃、“奥能登”を中心に甚大な被害をもたらした「令和6年能登半島地震」の発災から1ヵ月。石川県珠洲市にて緊急支援を続けてきた空飛ぶ捜索医療団“ARROWS”プロジェクトリーダー、稲葉基高医師は、走り続けたこの1ヵ月を振り返り、「チームとしてできることはやり切れた」といいます。今、その胸中に去来するものとは?これまでの支援、そしてこれからの支援について、話を聞きました。

124時間瓦礫の下敷きになっていた高齢の女性を救助

── 令和6年能登半島地震の発災から1ヵ月が経ちました。これまでの活動を振り返り、今、どのような想いを感じていますか。

地震が発生したとき、お正月を迎えて久しぶりに家でのんびりしていたのですが、テレビのニュース速報を見た子供が私の部屋に駆け込んできました。私も急いでテレビを見たら、能登半島全域で大きな地震による被害が起きていることを知りました。「これ以上ひどくならないでくれ」と祈っていましたが、見覚えのある石川県珠洲市で家が崩れていく映像が流れた。それを見てすぐに神石高原町にある空飛ぶ捜索医療団の本部に向かい、続々と参集したチームメンバーと出動。1月2日朝には珠洲市に入り、支援活動を続けてきました。

この1ヵ月を振り返ってみて、まず思うのは、現実として助けられなかった命、亡くなられた方がたくさんいたこと。ただご冥福をお祈りするばかりですが、いろいろと難しい状況下で、空飛ぶ捜索医療団がチームとしてできることはやり切れたのではないかと思っています。私自身、初めて経験したこともあり、学ぶことが多い1ヵ月でした。

── そのひとつが、CSRM(コンファインド・スペース・レスキュー・アンド・メディスン|倒壊家屋など狭く限られた空間で、処置や救出を行う特殊技術)の現場ですね。

はい。災害医療における最初の急性期のフェーズは、まず倒壊した家のなかに閉じ込められた方や、ケガをされた方を救出・救助する活動がメインになります。残念ながら死亡確認をしなければいけないことが多かったのですが、72時間の壁とも言われる中124時間もの間、瓦礫の下に埋もれていた高齢の女性を救助することができました。

雪が降りしきる過酷な状況にも関わらず、レスキューと医療の連携が必要不可欠な場面で完璧な処置を施し救出できたことは、本当に貴重な出来事でした。

参考:【令和6年能登半島地震】地震発生から124時間、倒壊家屋に埋もれた90代女性を救出

── 今回の災害支援では、どのような難しさがあったのでしょうか。

大きくふたつの要素があります。ひとつは、珠洲市という地域は高齢者が非常に多いこと。そしてふたつめは、地理的な問題で、今回の被災地が“奥能登”と呼ばれる、半島の先端部で震災が起きたことです。

被災地では停電と断水に寒さも加わり、特に高齢者にとって本当に厳しい状況でした。目の前の命を救う救助活動を続けながら、同時にそうした要配慮者や重症患者、継続的な治療や緊急の手術が必要な方々を都会の病院に搬送していくことが急務とされていましたが、土砂崩れや地盤の隆起により一部道路が寸断され、被災地まで陸路によるアクセスがままならないといった状況が長く続きました。搬送したくても救急車が通れない。こうした問題にも対処していかなければいけなかった点は、今回の支援を難しくした、ひとつの大きな特徴だったといえます。

── 患者搬送では、ヘリコプターがフルに活用されました。

そうですね、空飛ぶ捜索医療団では、発災の翌2日の早朝にヘリコプター2機を能登に配置し、患者搬送にあたりましたが、このミッションをドクターヘリと自衛隊と連携しておこなえたことは、とても大きかったと思っています。

これまでの災害支援では、空飛ぶ捜索医療団、ドクターヘリ、自衛隊がそれぞれの指示系統のなかで患者を搬送していましたが、今回は3団体が県の要請のもと連携し、それぞれのヘリコプターの特徴を活かしながら手分けして、効率よく患者を搬送することができました。実は、災害時におけるヘリコプターの患者搬送で官民が連携したことは、過去に例をみない、初めてのことになります。

── なぜ指揮系統の異なる団体の連携が今回実現できたのでしょうか。

これまでの災害支援の経験を踏まえ、我々民間NGOと内閣府・厚労省DMATが一緒に訓練してきた、その成果だと思っています。こうした大規模災害で一人でも多くの人を助けるためには、連携がマストだと考え議論を重ねてきました。そのなかで私たちが政府の訓練にも積極的に参加して備えてきた経験が今回活かされ、その結果、救えた命が確実にあったことは、本当に良かったと思っています。

パンデミックの経験を活かし、感染症のクラスターは最小限に抑えられた

── 災害医療の現場において、「災害関連死」の問題がよく問われます。この問題に対してはどのような対策をおこなったのでしょうか。

災害関連死を減らすことは、災害医療における大きな課題で、活動を開始してからさまざまな対策を講じてきました。

どうしても瓦礫の下に埋まっている方の救助など、レスキューと連携しておこなう現場が注目されがちですが、実際に救助で救える人は本当に限られています。

一方で、何とか地震では死ななかったけれど、その後長引く避難生活で体調を壊したり、家の片付けをしているときに大きなケガをしたりして、ADL(生きていく上で必要な基本的な日常生活動作)の機能が低下していき、心身の疲労も積み重なって命を落としてしまうケースが、これまでの災害において多くみられました。

さらに避難所に来ていない自宅避難者のなかには、心身の疲労で衰弱していき、誰にも気づかれないまま孤独死してしまう危険性もあります。救助を中心とした超急性期の活動を第1段階とすると、こうした災害関連死を一人でも減らすことが、災害医療の第2段階になります。

現場では、救助活動を続けながらこの第2段階の対策も並行して進めました。具体的には、1月2日に現地入りしてから各避難所を巡回し、衛生管理、健康管理を徹底しておこなったことです。

── そうした活動が感染症のクラスター防止にもつながったといえますか。

はい。感染症が蔓延するリスクは十分に想定していたこともあり、早い段階から継続的に衛生管理や健康管理に取り組んできたことが、確実に感染拡大の抑制に結びついていると評価しています。

また、実際に避難所によって新型コロナウイルス感染症の患者がでましたし、インフルエンザも流行りました。しかし、現場がパニックに陥ることなく、DMAT、赤十字をはじめ、さまざまな医療団体と連携してクラスターを最小限に抑えることができています。パンデミックを経験したことが、結果的に今回の震災では活きたという印象です。

例えば、これまでは新型コロナウイルス感染症の患者は完全に隔離して閉じ込めることが絶対でしたが、今回の現場では、限られた避難所のスペースのなかでどうすればクラスターを抑えることができるか、現場のすべての医療従事者がぶれることなく、かなり現実的で実践的な視点から対策をおこなってくれました。非常にプラクティカルな目線で医療者間の意識が共有できたことも、致命的な流行を抑えられている大きな要因だと思っています。

さらに一歩進んだ官民の連携が実現

── 稲葉先生はつねに「官民の連携が重要」だと主張されてきました。この観点から今回の活動をみると、さまざまな団体との連携がとてもうまくいっているという印象があります。

この1ヵ月の活動を振り返ってみると、まさに多くの外部支援団体の協力に加えて、市、県とも密に連携できたことが大きなポイントだと感じています。

これまでは、DMATと空飛ぶ捜索医療団、自衛隊とNGOのように、“外部支援者側”の官民の連携という文脈で発言することが多かったのですが、今回は受援側である珠洲市の自治体が非常に柔軟に対応してくれたおかげで、いろいろな支援がスムーズに、迅速に展開することができました。

珠洲市とは、昨年5月の能登半島で起きた震災でも支援活動をおこない、すでに市と関係性を築けていたという経緯もあり、今回は1月2日に現地入りしてから一緒に医療・保健・福祉調整本部を運営してきました。こうして最初から行政とも連携できたことが、ピンポイントの医療支援だけでなく、つねに避難所支援、物資支援とも連動した幅広い支援活動の実現につながったと思っています。

そして被災者でもあり、全国的に見ても小さい珠洲市の自治体が踏ん張って懸命に動いてくれたからこそ、ほかの医療団体も一緒になり、ひとつのチームとして大きな支援を展開することできた。外部支援者同士だけでなく、自治体とも連携できたという意味で、今回はこれまでの官民連携からさらに一歩進んだ官民連携の支援ができたと感じています。

よりきめ細かな支援で地域全体の医療を支える

── 発災から1ヵ月が過ぎ、状況は変わってきました。医療の観点から、これからはどのような支援が必要になってくるのでしょうか。

被災地の健康を守り、災害関連死を食い止めるためには、今後も変わらず臨時診療所での巡回診療を続けていくことが必要です。同時に、これまでは大きな推進力をもって大胆な支援をおこなってきましたが、発災から1ヵ月が過ぎた今、これからはよりきめ細やかな支援が重要になってくると考えています。2次避難が進むなかで、ここ珠洲市に残っているすべての被災者を誰ひとり取り残すことなく救っていくことが、次のフェーズの大きな課題です。

これまでの臨時診療所は、避難所内で開設してきたこともあり、必然的に患者のほとんどは避難所にいる方々でした。言い換えれば、在宅避難者や車中泊をしている被災者まで十分に支援ができていないということになります。

こうした現状に対し、広く地域の方々がもっと気軽に診療を受けられるようにするために、医療コンテナを導入しました。さらに今後は、地道な活動にはなりますが、1軒1軒家を訪ねてより細かく、注意深く地域の健康管理をしていくことも考えていかなければなりません。これまでは診療を窓口に医療から保健・福祉につなげていきましたが、今度は福祉から保健・医療につなげていく流れもつくっていく。医療・保健・福祉をより密に連動させた支援が必要です。

それと同時に、珠洲市全体の地域医療体制の再生をどのようにサポートしていくかも大きなテーマになってきます。被災地が復興していくには大きなエネルギーが必要ですが、今回の震災をきっかけに珠洲市の少子高齢化がさらに加速していくことが予想されます。一方で、高齢者を中心に珠洲市に残る方々は確実にいます。そうなると、地域に密着して健康を診てきた病院やクリニックをどのように支え、存続させていくかということも考えていかなければなりません。

こうした地域医療を守っていくという課題はとても難しく、正解がすぐに見つかるものではありません。被災地が復興するまでには、数か月、さらに年単位の支援が必要です。空飛ぶ捜索医療団としては、珠洲市が本当に日常を取り戻せるまで思考を止めることなく、できる支援を考え、支え続けていきたいと思っています。

被災地の復興に向けて長期的な支援を続けるためにも、皆様のあたたかいご支援をよろしくお願いします。

▼空飛ぶ捜索医療団“ARROWS”
https://arrows.peace-winds.org/lp/support_noto_earthquake/
▼ふるさと納税で【令和6年能登半島地震】緊急支援
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▼ English
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