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私たちの活動

2006騒乱を乗り越えて~その2 再入国

現地情勢の悪化のため、2006年5月26日に東ティモールを出国してから4カ月近くなった9月中旬、現地はかなり落ち着きをみせてきました。一方、ピースウィンズ・ジャパン(PWJ)は、今回の騒乱をきっかけに避難した人たちのキャンプや出身地で支援活動を開始していました。さまざまな準備も整い、私は避難民支援チームの一員として再び現地へ戻りました。

再入国の第一印象は「何かが変わってしまった」という感触でした。東ティモールが変わってしまったのか、あるいは自分が変わってしまったのか、心身ともにしっくりとこない感じが続きました。少したって、避難民支援を他のスタッフにまかせ、再びコーヒー事業に取り組める時期がやってきました。事業地であるレテフォホに入り、そこにたたずむラメラウ山と、そして何よりも人びとのどこまでも透きとおるような笑顔と声に迎えられると、その違和感は徐々に消えていきました。

収穫したコーヒーを天日で乾燥させるコーヒーを入れる麻袋も1カ月、天日干し

写真左:収穫したコーヒーを天日で乾燥させる  (C)PWJ
写真右:コーヒーを入れる麻袋も1カ月、天日干し
(C)PWJ/JunNAKAJIMA

そのころ、レテフォホのコーヒーは収穫期を過ぎ、これから本格的に輸出作業に入るというところでした。集荷作業もまだ続いていました。不安定な治安情勢の中、例年に増して限られた時間と、限られたスタッフで作業を進めなければなりません。品質管理の上で、雨期の到来前に輸出を終えなければならないのに、PWJは緊急の避難民支援を続けていたために、そちらの活動にもスタッフを割いていたからです。大きな障害をいくつも抱えながら、雨期の足音が聞こえてくるなか、信頼する現地スタッフたちと無我夢中で、コーヒーの輸出に向けて作業を進めました。

集荷され出荷を待つコーヒー豆

集荷され出荷を待つコーヒー豆
(C)PWJ/JunNAKAJIMA

コーヒーを積んだコンテナは12月5日に東ティモールを出港しました。しかし、ゆっくりと休む暇もなく、レテフォホでの事業は次なる活動へと歩んでいます。12月12日、PWJレテフォホ事務所では、月例の組合リーダー会議と女性グループ会議が行われました。コーヒー出荷を終え、2006年のいろいろな疲れがどっと押し寄せ、わたしは精神的にも身体的にもかなり辛い状態でしたが、会議に集まった組合員たちと、組合の組織づくりについて議論していると、すーっと、気持ちが楽になったような気がしました。組合員たちが議論する様子、議論の内容、そしてその声を聞いていると、レテフォホの生産者たちは少しずつではあるけれども、着実に前に進んでいるのだと、実感しました。

生産者たちは着実に前進している現地の人たちと語らう中島

写真左:生産者たちは着実に前進している
写真右:現地の人たちと語らう中島
(C)PWJ/HibikoSHIBATA

東ティモールは今回の騒乱で、また振り出しに戻ってしまったのではないか。これまでの努力が台無しになってしまったのではないか。多くの人がそういう疑問を持ち、わたしも多くの人からそう尋ねられました。しかし今、わたしはこのように答えることができます。
「騒乱でこれまでの努力が台無しになった部分もあれば、振り出しに戻ってしまった部分もあると思います。しかし他方で、少しずつだけれども、確かに前進している部分もあります」私たちの支援しているレテフォホのコーヒー生産者組合カフェ・タタマイラウも、その「少しずつだけれども、確かに前進している部分」だと思います。こんな小さな前進が東ティモールのあちこちで、静かに、でも確かに進んでいるのだと、わたしは信じて、今日も現地スタッフや住民たちと一緒に活動を続けています。その前進ぶりを少しでも多くの日本の人たちに見守っていただきたいと思います。引き続き、ご支援ください。

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