「難民の日」に思いを寄せる人びと
ピースウィンズ・ジャパン(PWJ)のフィールドオフィスのあるボーから車で3時間。PWJが建設中のワングレイ(Wanglei)の学校建設予定地で6月20日、「難民の日」を祝う催しが開かれ、子どもたちの歌や踊りなどが繰り広げられました。
住民の半数以上が元難民か元国内避難民という場所柄、コミュニティづくりも新しい住民と以前からの住民との共同作業になります。でも、「内戦中はどこへ行っても大変だったけれど、今はここで暮らしていける。住む家もある」という気持ちは共通。彼らにとって「難民の日」とは、つらかった時代を振り返り、その時代が終わったことを喜び、困難を乗り越えたことを誇りにし、未来を変えていく力が自分たちにあることを確認しつつ、将来の世代に同じ責め苦を味合わせないように生きていくことを心に刻む、といった意味を持つ日なのです。
「難民キャンプ時代はおなかいっぱい食べられたけれど、故郷に帰ってきたら食べ物が少なくて胃が小さくなってしまったよ。僕の小さな胃袋が大きくなりたいといっている~」「内戦中、村人皆で食糧援助をずっとずっと待っていたのに、やっと届いた袋を開けたら……なんと古着だった!」といった笑い話を寸劇やダンスに織り込みながら、祭りのような一日は飛ぶように過ぎていきます。
多彩な出し物
(C)PWJ/Yukari NISHINO
地元の小学生、お母さん会、職業訓練校の生徒、教会の子どもたちによる出し物の数々。文字通り歌って踊れる小学生やお母さんがたくさんいるのはさすがアフリカ。皆、音感とリズム感、身体能力は抜群な上に、どのクラスにも「クラスで一番声の通る子」がいて、太鼓の強いリズムだけでどんな高音程のメロディーも楽々と歌い上げてしまいます。この子のリードで歌が進んでいくのですが、普段はおとなしそうな少年やしっかり者といった雰囲気のお姉さんタイプの女の子たちが、晴れがましい場にはにかみつつも堂々と役をこなす様子は練習の成果とタレント(才能)の両方を感じさせて、印象的でした。
みんなで合唱
(C)PWJ/Yukari NISHINO
実は、去年の「難民の日」には、スタッフたちから「難民の日は祝日ではないのか?世界中で難民のことを考える日なんだろう?」といわれ、しばし言葉を失ってしまったことがありました。日本でどのくらい「6月20日」が知られているでしょうか。もちろん、難民や帰還民を国内に抱えている国で、たとえば難民キャンプなどで難民自身のエンパワーメント(自立や能力向上)の意味を込めて開催される行事であることは事実ですし、私自身もこの仕事につくまでは知らなかったのですが、「世界の人びとが難民のことを考えてくれる」と信じきっている様子のスタッフたちに説明するのは少し心が痛かったです。難民のことを知る、思いをはせる、目をそらせてはいけない問題に関心を寄せる。日本にとって、せめて6月20日がそういう日になるといいなと、もうすぐできあがる学校の校庭で踊るお日様みたいに元気な子どもたちを見ながら思いました。