【南スーダン】祖国を離れて ―隣国ケニアで暮らす南スーダン難民たち―
今月は、南スーダンと国境を接するケニアで難民として暮らしている南スーダンの人々の話をお届けします。
ケニアと言えば、皆さんどのようなイメージをお持ちでしょうか。サファリに代表されるような動物たちの楽園、日本でもおなじみのマサイ族のいる国、そして多くの有名選手を輩出しているマラソン強豪国、といったイメージがあるかと思いますが、実はケニアは近隣諸国から50万人近くの難民を受け入れている難民受け入れ大国でもあるのです。
ピースウインズ・ジャパン(PWJ)は、隣国ソマリアからの難民支援の拠点として1991年にケニアに設立された世界最大規模の難民キャンプ、ダダーブ難民キャンプにおいて、2012年からシェルター(簡易住宅)建設事業を行っています。ダダーブ難民キャンプには、2014年6月末時点で35万人以上の難民が暮らしており、その内の約95%はソマリア国籍ですが、南スーダンからの難民約1,100人もこのキャンプ内の一角で生活しています。彼らの多くはダダーブ難民キャンプ設立直後の1992年頃にこのキャンプに住み始めた難民たちですが、今年の1月以降、昨年12月に勃発した南スーダンの内紛を逃れ、南スーダンとケニアとの国境から直線距離で700キロ以上も離れたこのキャンプに辿り着く人たちが少しずつ増えています。
写真:ダダーブ難民キャンプを空から
PWJがダダーブ難民キャンプで提供しているシェルター1戸の広さは、国際規格の約19平米(11畳程度)で、ケニア政府と難民キャンプ管理委員会の合意を得た設計のものですが、室内に台所やトイレ、シャワーなどはありません。PWJが訪問したとあるシェルターでは、一つ屋根の下に10代の男の子ばかり6人が雑魚寝状態。お隣のシェルターでは、最近ダダーブに到着したばかりの女性4人とその子ども達9人の合わせて13人が生活しているなど、ひとつのシェルターに多くの難民がひしめきあい、まだまだシェルターが足りていない現状を痛感しました。
ダダーブ難民キャンプで出会った南スーダン難民は、子どもも大人も英語を話せる人が多いせいか、”Hello!” “How are you?” などと英語で気さくに声をかけてくれる点が印象的です。私たちを案内してくれた南スーダン難民居住区画のリーダーは、1992年に両親に連れられてダダーブ難民キャンプに到着して以来ずっとこのキャンプで生活している28歳の独身男性。PWJのケニア人女性スタッフが彼に意外な質問をしました。「あなたたちはどうやって結婚相手を探すの?」彼は「それが結構大きな問題なんだ」と笑っていましたが、実は切実な問題であることが容易に読み取れました。
キャンプに流れ着く難民は多くが家族単位。数少ない適齢期の独身女性は未亡人だったり子どもがいたりで、キャンプ内で理想の結婚相手を見つける事は簡単ではないのです。難民キャンプで家族を作り、一生キャンプで暮らす覚悟ができているのか、それともいつかは南スーダンに帰りたいと思っているのか。難民たちの心模様は人それぞれで計り知れません。
写真:フェンスで囲まれた難民キャンプ
南スーダンの内紛は勃発から半年以上が経過した今もまだ終息の兆しを見せず、こうしている間にも、ダダーブをはじめとする近隣国の難民キャンプへ避難する南スーダン人の数は増え続けています。彼らが心に思い描く未来が、一刻も早い帰郷であれ、キャンプでの結婚や定住であれ、難民としてキャンプで暮らす間は、私たち人道支援機関の支えが不可欠です。
PWJは今年中に南スーダン難民も含めた約2,000世帯分のシェルターを建設する予定です。地道ではありますが、難民たちの住環境を少しでも改善できるよう、今後も現地で活動に励んでいきます。
報告:谷本 明美(ケニア駐在)
※本支援は、ジャパン・プラットフォームからの助成や、皆さまからのご寄付により実施しています。