【南スーダン】Vickyの見た日本と、南スーダンの課題
2013年12月に発生した内戦以来、日本人の滞在が難しくなった南スーダン。ピースウィンズ・ジャパン(PWJ)は、現地NGOのTHESO(テソ、The Health Support Organisationの略)と協働し、同国内の支援を続けています。今回は、昨年このTHESOに採用された女性エンジニアのVicky Valente(ビッキィ バレンテ、29歳)へのインタビューをお届けします。彼女は今年1月、日本で開催された「南スーダンにおけるプロジェクト開発および実施に関する研修プログラム」(国連訓練調査研究所と日本大使館主催)に参加するため、来日しました。
― Vickyは大学を卒業し、建築専門家の資格を持っています。貧しい家庭が多く、初等教育もままならない南スーダンでは稀なことだと思いますが、豊かな家庭だったのでしょうか。
Vicky:いいえ、決して豊かではありません。私は男5人、女5人の10人兄弟で育ちました。父は早くに亡くなってしまったので母は大変苦労しました。でも、上の姉や兄が協力してくれたので学校へ行くことができました。
― 日本での研修はどうでしたか。
Vicky:とても勉強になりました。プロジェクトの立ち上げの段階から実施に至るまでのプロセスが本当に良くわかりました。将来、私は学校や病院を建設することで子どもたちを助けたいと思っています。この研修で学んだことを生かしたいと思います。
― 日本の印象はどうでしたか。
Vicky:日本は本当に発展していて素晴らしい国です。人もとても親切で感動しました。最も感銘を受けたのは、広島の被爆者のお年寄りから聞いた言葉です。“私たちは許します。でも決して忘れません。”とおっしゃいました。だから日本は平和なのだと思いました。南スーダンでは許すということがありません。私の国では、敵の部族からどんな仕打ちを受けたかを大人が子どもたちに教え、仕返しをするように教えます。ですから、戦いはいつまでも終わりません。男たちが戦争をし、苦しむのはいつも女性と子どもです。私は少しでも人々の助けになりたいと思いTHESOに入りました。
フィールドで子どもたちと一緒に写真に写るVicky
― 南スーダンに比べると、日本では平和が当たり前で、何の努力をしなくても平和は常にそこにあるもの。ともするとその存在すら忘れてしまいそうな平和の有り難さをVickyから教えてもらった気がします。最後に日本食は大丈夫でしたか。
Vicky:はい、全部とてもおいしかったです。名前はわからないけれど、干した魚は特に美味しかったです。参加した仲間たちも“(研修が)5日なんて短すぎる。もっと滞在できればいいのに。”と残念がっていました。
笑顔が素敵なVickyでした。PWJは、国内避難民の支援を通して、建国の力となるVicky のような若者の活躍も応援しています。
写真左:Vickyが監督するキャンプに建設されたトイレ、同右:PWJが支援する国内避難民のキャンプ
報告:田嶋智子(ナイロビ駐在南スーダン事業担当)
※この事業は、ジャパン・プラットフォームの助成や、皆さまのご寄付で実施しています。