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インタビュー

3年目に入るウクライナ危機(2)─ 「誰かがやらないといけない仕事」をやっている─

広報:ピースウィンズ国際人道支援 ジャーナル編集部

ピースウィンズ・ウクライナ駐在スタッフ ラディスラブ・レシュニコフスキ

ウクライナの首都キーウにあるピースウィンズの事務所には、ウクライナ人スタッフに加えて、国際スタッフとして駐在するラディスラブ・レシュニコフスキ(通称ラド)がいます。ロシア侵攻の8ヶ月後からキーウに駐在するラドに、母国である旧ユーゴスラビアの北マケドニアでの経験と重ねつつ、ウクライナ人の仲間と働きながらどんなことを考えているのか聞きました。

キーウ着任時の想い

─2022年2月24日、ロシアがウクライナに侵攻した時、どこにいましたか?

ラド 北マケドニアにいました。ロシアの戦車がウクライナに侵攻していくニュースを見てびっくりしました。まるで第二次世界大戦の古い映像のようで、今の時代にこんなことが起きるのかと驚きました。別の仕事をしていましたが、旧知のピースウィンズスタッフと相談を始めて、8月の現地視察に同行して、翌9月にはキーウに着任しました。当時は防空能力が不十分だったためにキーウにドローンやミサイルの攻撃があって停電や断水が起きました。事務所を閉鎖してウクライナ西部のカミアネッツ・ポディルスティという町に避難してホテルで仕事を続けたこともあります。

被害の様子を見るラド(右)

現地で行っていたプロジェクトとは

─そういう時期から2年足らずでたくさんのプロジェクトを進めてきましたね。

ラド そうですね。激しい戦闘が続いたウクライナ東部・南部に残る高齢者や障害者ら1万人以上の退避を支援して避難所67ヶ所を整備し、国内避難民1万人に食料や衛生用品を配付しました。さらに、西部や中部の避難民に心理社会的支援と法的支援を提供し、病院に医薬品や医療機器を提供し、被弾した幼稚園を修繕して、学校に教育機材を提供し、ロシアに一時占領された北部地域の女性を対象に巡回医療を行うなど、さまざまなプロジェクトを行なってきました。

医療機器提供のため病院長と打ち合わせをする
病院に医薬品の提供も行なっている

ウクライナ人スタッフと働いて感じること

─ウクライナ人スタッフと日々机を並べて働いて、どんなことを感じますか?

ラド 戦争がいつ終わるかわからず先が見えないなかで、彼らはそれぞれに今、自分ができることを一生懸命やっています。徴兵年齢を引き下げて軍への動員を厳格化する法案が審議されているので、男性スタッフについてはいつ動員されるか心配が絶えません。この1年の間には実際に提携団体の管理職が徴兵されたこともあります。

ウクライナ人スタッフと落ち込むような話はしないようにしています。意識的に前向きな姿勢を保っているスタッフもいます。ピースウィンズで働く前は日本のことをあまり知らなかったけれど、今はすごく興味を持って、来年の大阪万博に合わせて日本に旅行しようとお金を貯めているスタッフもいます。

自分たちの支援を受けた人が喜んでいるのを見ると実感を得られるので、スタッフはやりがいを感じてくれていると思います。最初はパートがいいと言っていたのに、やってみると、もっと働きたいと言ってフルタイムに切り替えたスタッフもいます。

キーウ事務所の仲間と(左端がラド)

ウクライナに単身赴任─危険を承知でなぜ─

─危険があるにもかかわらず、ラドさんは家族を母国に残してウクライナに単身赴任しながら人道支援の仕事をしているわけですが、どうしてですか?

ラド どうしてだろう(笑)。やはり他人事と思えなかったところはあると思います。少し自分の経験を話すと、1991年高校2年生が終わった時、(ヨーロッパの鉄道が一定期間乗り放題になる)ユーレイルパスを持って友達とバックパックの旅に出ました。オーストリアやイタリアを目指して今の北スロベニアを出た数日後に、ユーゴスラビア紛争が始まって戻れなくなりました(インターネットも携帯もない時代で、しばらく何も知らずに旅を続けていました)。ニュースを知ってからギリシャ経由で帰国しましたが、この時、人生が大きく変わりました。幸い戦闘なく独立することができたマケドニアには数十万人の難民が入ってきました。ユーゴスラビアはさほど豊かな国ではなかったけれど、生活するのに問題はなかった。コソボやボスニア・ヘルツェゴビナでの紛争で、普通の暮らしが急に奪われた。そんな人たちを目の当たりにしました。学生でしたが、JICA(国際協力機構)やNGOで人道援助の仕事に関わりました。

その時に、「ああ、こういう仕事はいいな」と思いました。突如日常が奪われた人たちを支えるのは誰かがやらないといけない仕事です。できることは小さいけれど、今、自分がそれをやっているのは、うれしいことだと思います。それが、ここにいる理由かな。

大学院で紛争予防を学んだラドが話すこれからの支援

─大学院で紛争予防を学んだ身としては、こういう現状は辛いですね。

ラド 国境が変更されて新しい国ができたようなところでは民族間の緊張はそのまま残っています。今も、たくさんの緊張があります。ヨーロッパの中にもある。そうしたテンションが戦争にならないよう努力を続けなければいけません。EU(欧州連合)の存在もそういう努力のひとつです。緊張が存在することを知った上で努力を続けるしかないと思います。

*ウクライナでの支援事業は、ジャパン・プラットフォームの助成金やみなさまのご支援により実施しています。

プロフィール:ユーゴスラビア出身の父と日本人の母の間にオーストラリアで生まれ、ユーゴスラビアで育つ。1991年にユーゴスラビア解体の動きが始まり、母国はマケドニア(現・北マケドニア)として独立。ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争やコソボ紛争で数十万の難民がマケドニアに流入する中、学生としてJICAや日本のNGOの仕事に関わった。2008年来日し、東京外国語大学大学院で平和構築・紛争予防学を学ぶ。2017年から2020年までピースウィンズスタッフとしてイラク駐在。2022年9月からキーウに駐在している。

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広報:ピースウィンズ国際人道支援 ジャーナル編集部
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