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インタビュー

ウクライナ・トルコを掛け持ち支援「医師の仕事にも、物資の配布にも、やりがいを感じる」
ピースウィンズ海外事業部・長嶋友希

長嶋 友希

5万人以上が犠牲になったトルコ南部の大地震から5月6日で3ヵ月となりました。ピースウィンズは地震発生当日に日本から緊急支援チームを派遣し、捜索救助活動や物資配布、医療支援活動などを行ってきました。緊急支援に駆けつけた中には、ウクライナ支援業務を一時離れてトルコに向かった長嶋友希医師もいました。1年の間にふたつの大きな現場を受け持った長嶋医師の話をご紹介します。
 

──最初は、まずウクライナ支援に入られたのですよね?

長嶋 はい。去年2月24日にロシアがウクライナに侵攻したニュースを見て、「何か自分にできることはないか」とあちこちに問い合わせをした結果、ピースウィンズが運営する空飛ぶ捜索医療団”ARROWS”登録派遣隊員となり、4月10日には飛行機に乗っていました。
 

──それまでは何をしていらしたのですか?

長嶋 病院の勤務医として3月31日まで仕事をしていました。4月からフリーになることは決めていたのですが、どこで何をやるかは決めていませんでした。でも、ウクライナのニュースを見て、居ても立ってもいられなくなったのです。
 

──なにか理由はあったのですか?

長嶋 熱くなれるものを見つけたかったのではないかと思います。
 

──ウクライナ支援を行っている隣国のモルドバに着いて、まず何をされましたか?

長嶋 モルドバの首都キシナウに到着したその日から、避難所の敷地内に仮設された診療所で、ウクライナから避難してきた人々の診察を始めました
 

モルドバの仮設診療所でウクライナから避難してきた人々を診察
モルドバの仮設診療所でウクライナから避難してきた人々を診察

 

──とまどうことはありましたか?

長嶋 以前、インタビューでも答えたのですが、旧ソ連の流れを汲むウクライナの医療事情は、医療の慣習や価値観、病気の名前や薬の使い方など欧米とは違うことが多くて、患者さんが何を訴えているのかわからないことがあったりして、通訳と共通理解を図ることがとても大切でした。
 

──そうした「医師としての活動」を経て、ピースウィンズのスタッフになられたのですね?

長嶋 はい。モルドバに着いて4ヵ月経った去年の8月、ウクライナ南部のオデーサを視察しました。ウクライナ国内にどのような支援のニーズがあるのか調査しに行ったのですが、この時、ウクライナの医療従事者はあまり国外避難していなくて、医者は不足していないことがわかりました。むしろ医療物資の供給や医療システムを改善する方が、より広くウクライナの人のためになると考えたので、医師としてというよりは、事業スタッフとして支援に関わろうと考えました。
 

──せっかく医師であるのにもったいない気がしますが、臨床の現場を離れることに迷いはなかったのですか?

長嶋 私にとって医療は道具に過ぎず、より役に立つことをするためなら、医師としての能力はいつでも「しまっておける」ものだと思っています。
 

──へぇ! でも、今年2月に起きたトルコ大地震では、医師としての能力が必要とされたわけですよね?

長嶋 そうですね。2月6日に地震が発生して、空飛ぶ捜索医療団の第二陣として2月11日にトルコに向かいました。最初はガジアンテップという震源地に近いところで診療活動をしました。地域の基幹病院が崩れてしまっていたので、大学の建物を借りて診療を行いました。その後、避難民が流入して人口が倍増したのに無医村になってしまったハタイ県のタニシュマ村で新たな診療活動を始めました。最初はテントすらなくて、青空診療でしたよ。テントが嵐で吹き飛ばされたこともありました。
 

トルコ・タニシュマ村での青空診療
トルコ・タニシュマ村での青空診療

 

──そして、そのままトルコに?

長嶋 いえ、2月末にいったんトルコを離れてウクライナに1週間。3月半ばにまたトルコのタニシュマ村に戻って3月いっぱい診療を行って、戻ってきた地元の医師に引き継ぎをして、モルドバに戻りました。
 

──トルコでの活動にひと区切りつけて、これからはウクライナ全土で医療機器や医薬品を提供する支援活動を本格化されるわけですね。臨床現場とは全然違う仕事になりますね。

長嶋 はい。ペーパーワークには向いてないなあと思うのですが(笑)、頑張ります。でも、いろんな現場を掛け持ちできるのは刺激になるし、自分の強みかなとも思っています。専門分野を狭めすぎるとさまざまなニーズがある実際の現場で役に立たないこともあると思うので。医師としての仕事もやりがいがあるし、物資を配るのにもやりがいを感じるので、いろんな仕事を楽しんでいます。
 

緊急支援活動をしたトルコで
緊急支援活動をしたトルコで

 

──経歴を見ると、最初から医師を目指したわけではないのですね。

長嶋 最初に入った大学での専攻は体育です。武道もひと通りやって黒帯を持っていますが、専門はバスケットボールです。
 

──それがなぜお医者さんに?

長嶋 大学を卒業してNGOに入り、アフリカのガーナに赴任しました。保健医療関係の仕事だったのですが、ノリだけで行ってしまったので、戦力になれませんでした。やっぱり何らかのスキルを持って、専門を持たないとダメだなと。
 

──それで医学部に入り直した?

長嶋 はい。人道支援の現場で役に立つには、医学か農業、土木あたりの知識がいいかなと思って、考えた結果、ニートをやりながら勉強して、医学部に編入しました。
 

──すごい! 医師としての専門分野は何ですか?

長嶋 初期研修のあとほとんどすべての医師は外科とか内科とか専門を選ぶのですが、私はそこには進みませんでした。ただ初期研修でお世話になった千葉県の鴨川市にある亀田総合病院は、医療資源の少ない場所に対応できるようなジェネラリストとして幅広い能力を身につけるプログラムを持っていて、世界標準の医療ができる研修をしてくれました。そこで得た知識と経験が本当に生きています。私の強みは「専門性のなさを自覚していること」。自分にできること、できないことがわかっているので、抱えすぎないで、自分にできなければ、すぐに適切なところに患者を送る判断ができます。被災地や戦地など医療の動線が壊れているところでは、こういう専門医療機関との連携を作り直すことが非常に重要になります。
 

──体育専攻から医師、そして今また違う領域にも手を広げていく長嶋さんは、これからも全く違うことをしていくかもしれませんね。目標はどんなことですか?

長嶋 世界平和です……というと大きすぎるかもしれませんが、東西の難しい狭間にいるウクライナやモルドバが、もっと自分で命運を決める力を持てるような、そんな未来のために自分のできることを精一杯やっていきたいと思っています。
 

 

WRITER
長嶋 友希
体育学部卒業後にガーナにてNGO活動に従事し、日本帰国後に医学部編入学を経て医師となった。ウクライナ侵攻をきっかけにピースウィンズ・ジャパンにロスター(登録隊員)登録し、その後スタッフへ。モルドバを拠点にウクライナへの医療支援活動を行っている他、トルコ・シリア地震緊急支援では仮設診療所の運営と診察にあたった。
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