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インタビュー

大地震から半年 トルコの村人たちはいま

広報:ピースウィンズ国際人道支援 ジャーナル編集部

 
2023年2月6日に発生したトルコ史上最大の地震によって、5万人以上の命が奪われ、10万人以上が負傷し、家を失うなど約910万人が直接の被害を受けました。あれから半年、人々の暮らしはどう変わったのか、変わっていないのか? 被害の大きかったハタイ県の村々で支援活動を続けてきたピースウィンズのロバート・ギルホリーが現地の人々の声に耳を傾けてきました。

 

タニシュマ村のハシム・バイラクタル村長。背後のモスクは取り壊しが決まっている
タニシュマ村のハシム・バイラクタル村長。背後のモスクは取り壊しが決まっている
夏を乗り切るためにピースウィンズが届けているクーラーボックス
夏を乗り切るためにピースウィンズが届けているクーラーボックス。ボズホユック村の人々が配付を手伝ってくれます

 

「いいことは何もありませんでした」

「半年前、私たちの暮らしは一夜にして根底から覆されました」と語るのは、マデンボユ村に暮らすシリア難民のシェザ・アーメドさん。3人いる子供のうちの末っ子で1歳のシラちゃんにミルクを与えながら、空いた片手で周囲に乱立するテントを示しました。家族5人と親戚7人はテント暮らしを続けています。「この半年間、いいことは何もありませんでした」。地震で妊娠中だった妹を亡くしたシェザさんは言いました。

不便なテント生活の中でも、とりわけ飲料水が足りないことが深刻だとシェザさんは話します。清潔な水が十分にないため、シラちゃんはさまざまな病気で入退院を繰り返しています。また、テント生活では虫や蛇が侵入する恐れや、雨が降ると凄まじい音を響かせること、夏の酷暑といった問題もあります。

テントから仮設住宅に移ったからといって、安心なわけではありません。タニシュマ村に住むハサン・ケセルさんは最近、家族4人でテントから政府支給のコンテナの仮設住宅に移り住みました。しかし、コンテナハウスが建っている脇にあるのは取り壊しが決まっている自宅で、倒壊の危険があります。世界保健機関(WHO)によれば、5月の時点で3万回を超える余震が記録され、直近では7月25日にマグニチュード5.5の揺れがありました。

 

精神面の負担を語るケセルさん
精神面の負担を語るケセルさん

 

蝕まれる心の健康

仮暮らしが長引くにつれて、精神面の負担も大きくなりつつあります。

ケセルさんは、「この6ヶ月で一番変わったのは、暑さが刻々厳しくなっていく中で、人々の心の健康が蝕まれていること」だと言います。地震で失業した多くの村人と同様、ケセルさんも夜明けから夕暮れまで、日陰と仲間を求めて通りをさまよう日々を送っています。話し相手がいることは救いになる一方で、暑さの中で苛立って喧嘩が起きることもあります。震災前にはほとんどなかったことだそうです。

タニシュマ中心部の日陰の道で、タバコの葉を乾燥させるために手際よく紐に葉を通していたレスミエ・アスランさんは、大地震が起きた時の恐怖を忘れることができず、不安に悩まされ続けています。また、姪のセルカンさんが家族とともにイスタンブールからマデンボユに戻ることを決断したのは、両親の精神状態を心配したからでした。地震の恐怖から両親は精神的に不安定になり、「風邪のような些細なことでも、母親はまるで私たちが疫病にやられたかのように騒いで、逃げ出そうと言い始めるのです」。時間は癒しになるどころか、事態を悪化させるだけだとレスミエさんは言います。「半年も経てば状況は改善されると思うでしょう。でも、そうではありません。1年後、私たちはどうなっているのか、どこで暮らしているのか、わからないのです。その不安が私たち心に重くのしかかっています」。

 

 

こうした苦難を少しでも和らげるために、ピースウィンズはこの半年間、さまざまな支援活動を行ってきました。ここからは、支援活動を行ってきた相葉翔太のインタビューで、現地の様子をお伝えします。

 

相葉翔太(中央)
相葉翔太(中央)

 

景色が変わってしまって記憶と結びつかなかった

−トルコで大地震が発生した2月6日はどこで何をしていましたか?

相葉 大地震で大きな被害が出たことを知ったのは、大学院進学のためにコスタリカに滞在していた時でした。履修を予定していた平和学の開始が夏に延期になって思いがけず時間ができたので、かつて旅したハタイ県が震源に近いことを知り、支援に行きたいと思ってピースウィンズの募集に応募しました。

 

−青年海外協力隊(スリランカ、ミャンマー)やNGOで人道支援の経験があったから、即戦力として現場に行かれたわけですね。現地に入ったのはいつでしたか?

相葉 地震発生から2ヵ月が経った4月5日です。飛行機が着陸したアダナ空港周辺の被害はそれほどでもなかったのですが、そこから車で2時間ほど、事務所のあるイスケンデルンに近づくにつれて、数多くの建物が崩れていたり、支援や復旧に向かうトラックの数が増えて、緊張したことを覚えています。

 

−かつて旅したトルコとは違いましたか?

相葉 中東をバックパック旅行したのは学生だった2011年のことですが、シリア内戦が今のように激しくなる前で、この時はハタイ県を通ってシリアのアレッポに行きました。ハタイの県庁所在地のアンタキアは古代ローマ時代の教会など歴史的な建物も多く、落ち着いた美しい街でした。それが今回行ってみると建物の大半が崩れ落ちて、景色がまったく変わってしまっていて、記憶と結びつかなくて衝撃を受けました。

 

−トルコ着任からの4ヵ月間、どんな支援活動をしましたか?

相葉 私が到着する前の3月末までにピースウィンズは、救助活動、仮設診療所での医療支援、緊急物資配付、テントの設営などの緊急支援活動を行いました。私が着任してからは、支援の手が十分に届いていない震源地に近い村々を訪ねて、村長さんらと相談しながら、被災地の人が何を必要としているのかニーズを調査して、それに基づいてタニシュマ村とマデンボユ村で、食料と生活物資を配付することが決まりました。それからは、必要な物資の調達や、村や行政など各種関連機関との調整をしながら、配付活動をしてきました。さらに、支援を必要とする二つの村を追加して、支援物資を届けています。

 

−この数ヵ月で人々が必要とするものは変わっていきましたか?

相葉 地震発生から間もなくは、とにかく食料と衛生用品が必要でした。米や小麦粉、塩、砂糖、油、レンズ豆、ジャム、オリーブなどの食料を配りました。それから数ヶ月経つうちに食料は行き渡るようになってきて、むしろ暑さ対策が課題になってきました。なにしろテントの中は暑いので、今は扇風機やクーラーボックスなどの配付が重要になってきています。

 

−人々にどんな変化があったかは冒頭のインタビューでも読んでいただいた通りですが、相葉さんはどんな印象を受けていますか?

相葉 大きな町には復興の兆しが明らかに見えます。イスケンデルンでは新しいお店ができたり、人々が仕事の意欲に燃えていたり、エネルギーを感じます。中心部の公園のテントで暮らしていた人たちがコンテナの仮設住宅に引っ越してテント村が消えて公園の全体像が見えるようになって、「こんなに綺麗な公園だったんだ!」とびっくりしたこともあります。

でも、それとは対照的にタニシュマ村のような小さな村では、望むようなペースで復興は進んでいなくて、「何も良くなっていない」と言う人がたくさんいます。村では自分の家のそばに暮らしたい人が多く、テントやコンテナ住宅が分散して置かれているために、テント村のように効率よく電気や水道の敷設を進めることができなくて、生活環境が快適になっていかないという問題があります。

 

−大学院進学のためトルコを離れるわけですが、今、どんなことを思っていますか?

相葉 トルコでの支援事業を見届けられないことに残念な気持ちはあります。かつて別のNGOで働いた時に自分の未熟さを感じたので、もっと専門知識を得て、現場で効率良く支援ができるようになりたいと思って大学院に行くことを決めました。民族間の軋轢を解消するには何をすればいいのかなど勉強してこれからの活動に役立てたいと思っています。パワーアップしてまた現場に戻るつもりです。

 

※トルコにおけるピースウィンズの支援活動は、みなさまからのご寄付やジャパンプラットフォームからの助成金により実施しています。

 

WRITER
広報:ピースウィンズ国際人道支援 ジャーナル編集部
国際支援や世界情勢に関わる情報をお伝えしています。本当に困っている人たちに、本当に必要な支援を届けるために、私たちにできることを一緒に考えるきっかけになればと思います。
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