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インタビュー

2023年 難民の日 ピースウィンズの難民支援の現場から(1)

広報:ピースウィンズ国際人道支援 ジャーナル編集部

6月20日は「世界難民の日(World Refugee Day)」です。UNHCR(国連高等難民弁務官事務所)によると、紛争、迫害、人道危機から逃れてきた難民や避難民など、助けを必要とする支援対象者は全世界で約9470 万人。ウクライナ戦争やスーダンの治安悪化など様々な要因によってその数は増え、第二次世界大戦後、最も多い危機的な状況となっています。「世界難民の日」は苦難に立ち向かう難民・避難民への共感と理解を深め、彼らの勇気を讃える日。UNHCRが掲げる2023年のテーマは“hope away from home(難民とともに描く希望)”。世界各地で難民・避難民支援を行なってきたピースウィンズは、今どんな活動を行っているのか? そこにどんな希望があるのか? 現場から3人の声をお届けします。

 

●ボスニア・ヘルツェゴビナでの経験を胸にイラクで難民を支援するベルマ・シシチ

 

──イラク国内にはどのような難民・避難民が暮らしていて、ピースウィンズはどのような支援を行なっているのですか?

シシチ イラクには、隣国シリアの紛争を逃れてきた難民約26万人に加えて、イスラム武装組織Daeshなどの迫害を受けた国内避難民が120万人います。その人たちが暮らす難民キャンプのうち、現在ピースウィンズは、米国務省の人口・難民・移住局(PRM)とみなさんからの寄付を受けて、アルビル州にある4つの難民キャンプと隣のドホーク州の3つの難民キャンプで、高齢者と障害者が暮らしやすくなるよう住まいの改善を行なっています。

 

 

──具体的にはどういう改善をするのですか?

シシチ キャンプの家は健康な人を前提に作られているので、アプローチが階段だったりトイレが狭かったりして車椅子が使えないなど、障害のある人や高齢者にとって優しい構造になっていません。そこで、シェルターの生活環境を調査して、手すりをつけたり、トイレを西洋式に替えたりして、弱い立場にある人が生活しやすいようにします。そのプロセスでは、難民自身にもデザイン作りなどに意見を出してもらって主体的に参加できるようにしています。

ただ、トイレを替えるなどの改善を提案しても、それで居住スペースが少し狭くなるのは嫌だと思う人はいます。小さな空間に7人、8人が暮らしていますから、スペースが大切なことはもちろんわかります。それぞれの事情があるので無理強いをすることはありません。話し合いをしながら、進めていきます。

あるキャンプで、こんなケースがありました。お母さんが身体か精神に障害のある子供5人を1人で世話していて、子供がトイレに行くたびに、1人ずつ運んでいかなければならなかった。お母さんは嫌な顔ひとつしないで、笑顔でやっていましたが、大変だったはずです。トイレを改良すると、3人の子が自力で行けるようになって、お母さんも助けることができました。こうした成功例を目の当たりにすると、最初は改良よりスペースが大事だと言っていた近隣の難民が「やっぱりやって欲しい」と言って来ることもあります。

 

 

──イラクに暮らすシリア難民の人たちの苦悩とはどんなものですか?

シシチ キャンプで暮らすシリア人の多くには労働許可が与えられているのですが、キャンプのあるクルド地域、あるいはその他のイラク国内地域でなかなか仕事が得ることができません。また、仕事に就くことができても、給料が地元の人に比べて不利になっています。キャンプの中にいるのは、実はエンジニアや教師、医師など、シリアの都市で専門職に就いていた人が多い。そんな人たちが小さなシェルターにポツンと座って「社会の役に立っていない」と感じている。知識や専門性を活かせないことの苦しさ。それがどんな痛みをもたらすか、想像してみてください。それでも、キャンプを訪ねると、みんな笑って、お茶をご馳走してくれて、故郷のことを話してくれます。中高年は特にそうですが、みんなただ故郷に帰りたいのです。自分の経験からも、その痛みがわかります。

 

──どういうことですか?

シシチ ボスニア出身の私は13歳の時にボスニア・ヘルツェゴビナ紛争を経験しました。ユーゴスラビア解体の過程で1992年から1995年まで民族対立が続き、20万人の死者を出した戦争です。ティーンエイジャーだった3年半、故郷は戦場でした。恐ろしいものをたくさん見ました。撃ち合いも見たし、手榴弾が爆発するのも見ました。和平交渉が行われていた間、学校からの帰り道、いつスナイパーに撃たれてもおかしくない状況で500メートル歩いて帰ったこともあります。

戦争が終わった時、恐ろしい虐殺のあったスレブレニツァのような町にさえ、人々は帰りたがった。今も家族の遺骨を探している人たちがいます。わずかに見つかった骨一本を埋葬した人もいます。それでも人は帰りたい。こうした経験からわかったことがあります。若い人は違いますが、40代以上の難民は故郷に帰りたい。人は生まれ育った場所で死にたいのだと思います。

 

 

難民キャンプで子供たちを見ると、紛争を逃れてある程度の安全を確保できてよかったと思うと同時に、子供はこんな経験をしなくていいと強く思います。13歳の私は自分の町で起きていることが理解できませんでした。なぜ隣同士で殺し合いをするのかわからない。どうしてお隣に暮らしていた人が突然いなくなるのかわからない。何よりわからなかったのは、「世界は何をしているの?」ということでした。どうしてこの戦争を止めてくれないのか? 意味がわかりませんでした。

 

 

去年、ウクライナで戦争が始まった時、ニュースを見ながら、ウクライナの友達にどう声をかけたらいいのだろうと考えていました。するとまさにその時、テレビの中でキーウへの空爆を知らせるサイレンが鳴り始めました。その瞬間、私の体の全細胞が叫び出しました。13歳の自分に一気に引き戻されたのです。この時、同じことを思いました。世界はいったい何をしているのか? と。スーダンでも、イエメンでも同じことが起きています。世界はいったい何をしているのでしょう。

 

──希望はどこかにありますか?

シシチ 私たちは、難民女性たちの希望につながる「工具サービスセンターとワークショップ」をやっています。建築分野での支援の一環として、配管やコンクリート作り、左官、あるいは家の設備の修理の仕方を学ぶ訓練機会を提供しています。他の機関は裁縫や美容のトレーニングなどを行うことが多いですが、私たちは女性が建築現場で熟練労働者になれる訓練をしています。技能をつければ稼げる額も増えます。去年の世界難民の日のイベントでは、工具サービスセンターで使う工具を展示して、建築関連訓練の説明をするチラシを配ったところ大盛況でした。今年のテーマ“Hope Away From Home”の精神を汲んで、私たちのスタンドのテーマは“Hope To Rebuild Our Homes(家を再建する希望)”にしようと思っています。難民の人たちが故郷に帰ったとき、人に頼まなくても家を再建できるように。技能を活かして生計を立てられるように。それが私たちの希望でもあります。

 

 

WRITER
広報:ピースウィンズ国際人道支援 ジャーナル編集部
国際支援や世界情勢に関わる情報をお伝えしています。本当に困っている人たちに、本当に必要な支援を届けるために、私たちにできることを一緒に考えるきっかけになればと思います。
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